地方における民主主義の実験  スティグ・モンティン

地方自治体における民主主義の実験



目 次



1 序

1.1 目的および概要

2 民主主義への取組み方

2.1 スウェーデンの民主主義

2.2 集団的な考え方と個人主義

2.3 混合的な取組み方

3 地区委員会

3.1 その拡大と改革の目的

3.2 地区委員会についての評価

3.3 地区委員会の直接選挙についての是非

4 議会の刷新

4.1 議会の活動形態

4.2 根本的な改革か?

4.3 基礎自治体における議会制度とは?

5 地方自治体における住民投票と住民発議

5.1 誰が地方自治体における住民投票を実施するか?

5.2 住民投票の是非 ― 基本的議論

6 市民陪審団

6.1 市民陪審団の概要

6.2 具体的事例:ウップランド・ヴェスビー市

7 選択の自由と民主主義

7.1 ナッカ市における選択の自由

7.2 効果に不安?

8 集団的な利用者参加

8.1 集団的な利用者参加のさまざま形態

8.2 利用者参加への取組みと問題

8.3 いくつかの経験

8.4 これらについての印象と議論の総括

9 地域社会の組織化

9.1 スヴォガダーレン市における非政治的団体活動

9.2 ゲヴレ市における民主主義についての実験

9.3 オーレ市における“市民参画の徹底化”

9.4 これらについての印象と議論の総括

10 小さな民主主義と大きな民主主義

10.1 政治の急激な膨張

10.2 民主主義の急激な進展?

10.3 機能的な民主主義と社会資本

10.4 地域社会と適法性と自由

10.5 政治上の帰属意識

11 活性化、自律化、または植民化 ― 結論としての議論

参考資料






地方自治体における民主主義の実験

― 事例とその分析 ―

スティグ・モンティン



1 序



この社会には、誰の目にも明らかに部分的に矛盾した発展傾向が見られる。このようなものの一例として、近年における民主主義が発展しているかそれとも形骸化しているかという問題がある。一方においては、近年、多くの点で明らかに非民主的になってきているように見える。財政上の価値が民主主義の価値を押しやってしまってきていること(ルンドクィスト 1998)、民主主義に関する議論がその焦点を住民自治の問題から政治上の処理技術の問題に移っていく傾向があること(ヤコブソン 1997)、そして政治上の意思決定が、多かれ少なかれ、密室で行われる傾向があること(レウィン 1998)である。少なくとも公的な事業においては、民主性の欠如が批判されている。企業民主主義が機能しているかどうかという1970年代の議論は退けられ、1990年代には明らかとなったように、むしろ、それは雇主を批判する職員にとっては恐怖となっている(SOU 1996:169)。雇用不安、予算削減、基準切下げ、不平等の拡大、基礎自治体政治のスキャンダル等々は、確立された民主主義の諸制度に対する市民の間の信頼を損なわせる要因である。スウェーデンの尺度で、1998年の選挙の際に低い投票率を喫したことは、明らかにこうした信頼の喪失を示すものである。

同時に、民主主義の発展は顕著であるとする議論がある。1990年代には、さまざまな民主主義調査委員会、民主的学校、民主化計画が出現し、地方レベルにおけるさまざまな参加の拡大のための多様な試行や実験が行われている。自尊心を備えたそれぞれの基礎自治体は、今日では、何らかの形態の民主化計画を有している。近年におけるいくつかの分野での立法は、新地方自治法とか学校教育の分野における地域における利用者管理についての試行立法などのような利用者及び市民の参加の拡大と責任の強化という概念によって特徴づけられる。

これらの対立して見える発展の方向は、少し異なった形で解釈され得る。一つの解釈は、非民主化と地方自治体における民主主義の発展という二つの過程が、相互に対比的に、並行して進行しているということである。市民は、「小さな民主主義」に協力し責任を負うことを認められかつ奨励され、その一方で、政治及びその他におけるエリートが「大きな民主主義」を担う。もしこのような解釈がなされるならば、その発展の方向は、適法性の問題を大きくさせることとなり、ポピュリスト的な「我々と彼ら」、すなわち「住民」が「エリート」に置き換えられるとする考え方に直接訴えることとなろう。そのような考え方は非現実的なものではない。かなりの数の調査及び経験が社会の中における格差の拡大を指摘している。権限がないことは十分に証明されている(ペテルソン 1998等を参照)。

民主化実験に対する関心の増大は、上記の非民主化の傾向に対するある種の反動とみなされうる。地方レベルにおける非開放的な形態の協働とその発展は、大きな民主主義と大きな政治を次第に非開放的にすることになる。今日のいくつかの基礎自治体における民主主義の実験は、他の部分において生じている非民主化に対する反動と考えられる。「私たちがこの国で民主主義を打ち立てのために、エリートはブリュッセルに行かせてしまえ」ということである。民主主義は下から築き上げられるということは古典的な議論である。この民主主義の研究においては、市民の能力の高まりを随所で強調し、地方及び全国レベルでの政治の形成とその効果を批判的に調べることとしたい。協働と参画の必要性はますます言われている。昨日の社会は、エリートと(多かれ少なかれ受身の)大衆という言葉で表わされるが、今日の社会は、従来以上に高い割合で、権力エリートの定めた方向に従順に従うことのない高学歴の批判的な市民で構成されている。このことは、指導者の裁量の余地を制約するが、一方で、大きな民主主義と小さな民主主義との間の関係の変化の基ともなっている。その一方で、基礎自治体の政治においては、民主政治が発展していることを示す兆候が見られ、学校教育であるとか、社会政策であるとか、交通であるとかのその他のより一層良く知られた政治分野に及んでいる(オルソンおよびモンティン、1996)。

さらに、ある解釈では、他の解釈と矛盾するものではないが、公私のサービスの質の低下は、さまざまな形の資源を動員するべく、地方レベルで人々が組織化されるように役立ってきたということである。その組織化のための非常に重要な目標設定となったものは、おそらく、第一義的には民主主義それ自体ではない。それにもかかわらず、非営利の組合のように、民主的な活動形態で組織化されることは、大多数の者にとっては自明のことである。社会資本の増大と市民個人及び市民の集団の影響力の増大は、その際の地方における動員の二次的な効果であるとみなされうる(ロイセランド&アールセテール 1999,近著 参照)。



ここで、「大きな」民主主義と「小さな」民主主義とは、まずは、一方で、基礎自治体における代議制民主主義及び基礎自治体行政についての、また一方では、それ以外の高いレベル(広域、全国)での代議制の政治上の機関、およびさまざまな形態の民主制の機関他方では基礎自治体における代議制の機関についての集団的な意味を欠いているという、厳密な概念ではない。それらは、ともに機能的、地域的な意味を有している。機能という意味においては、小さな民主主義は、例えば、学校といったような施設にかかわるものである。地域的な意味においては、それは、地域社会の民主主義および政治にかかわるものである。そこで、その特徴は、「権限調査委員会」で言われているものとは部分的に一致するにすぎないと言えよう(ペテルソン,1991,s.22)。





1.1 目的および概要

本節においては、民主主義の実験、すなわち民主主義を革新し改革する試みと称される基礎自治体及び地方レベルにおける多くのさまざまな改革について詳細に述べる。ここでは、議会、地区委員会、利用者参加、選択の自由、地方における発展途上の集団等々の革新について取上げている。しかしながら、それらの改革が民主主義を革新しあるいは改善に導くか、またはつかんだものが手に入れるべき民主主義であるかということは、決して自明のことではない。利用者参加や選択の自由などは、本当のところは、消費者参加抜きには民主主義とは言えないし、また若干の革新的な計画が、むしろ、スウェーデンの住民自治の特徴である政党を基本とする代議制民主主義に対する脅威となっている、とする若干の批判がある。ヨルゲン・ウェステルストールも、利用者参加の発展の批判的に見ている人々のなかの一人である。彼は、近年顕著となってきている直接民主主義や参加民主主義の問題に焦点を当てるのではなく、いかにしたら代議制民主主義ができる限り機能的であるようにすることができるかという民主主義論争を追求している(ウェステルストール,1997)。このため、さまざまな実験を民主主義の視点から体系的に分析しようと試みることが重要である。そうした試みが政党の役割や代議制民主主義、そして備えていなければならない全体的視点に対する脅威を意味するだろうか? またそれは小さな民主主義と大きな民主主義との間の裂け目の拡大を意味するだろうか? あるいはまた、代議制民主主義の機能性がそうした民主主義の実験により低下させられたり活性化されたりするであろうか?

「民主主義の実験」とは、地区委員会の設置とか基礎自治体議会の刷新といったような改革、ならびに代議制機関と別のさまざまな形態の利用者及び市民の参加をいう。この点に関して、問題は、田園部の基礎自治体において行われるものに対する完璧な説明といったものはではなく、むしろ民主主義の実験の選択である。その目的は、これらの事例において、主として基礎自治体における代議制民主主義にかかわる何らかの小さな民主主義及び大きな民主主義との関係に関わる全般的な問題に焦点を当てることなくしては、決してそのような完璧な説明はできないということであった。本書は、主に、批判的な検証による外観的所見である。本書は、地方自治体の民主主義に関わるさまざまな試みや実験に関して記しており、民主主義の研究におけるさまざまな概念や理論に依り、それらの出来事の発展について議論し分析している。そのうえさらにまた、規範的な民主主義理論から可能でありかつ望ましい手法と改革であると私が考える形で建設的な貢献となる試みが行われている。

利用される源資料にはさまざまな種類がある。ある事例においては、基礎自治体の方針およびそれに類するものを示すばかりでなく、実績を説明する文書がそうである。また、別の事例では、調査研究とは原則としてみなされないけれども、適切な経験上の叙述としてのインタヴュー調査やその他の調査がそうである。しかしながら、経験に基づく資料の大部分は、調査研究報告書および現在進行中の調査研究の報告からなっている。さまざまな種類の資料が利用されている場合には、批判的に受け止め、それぞれの個々の事例について信頼性について判断することが重要である。ある事例の場合、継続的な表題において、さまざまな調査の成果などである一定の留保および方法論上の注釈がなされている。

この報告書は次のような提案をしている。先ず、民主主義に関するさまざまな取組み方が説明されている。すなわち、スウェーデンの民主主義とこれへの集散主義および個人主義による取組みについてである(第2章)。それ後で、この国のさまざまな地方におけるさまざまな民主主義の実験の選択が紹介されている(第3-9章)。第10章においては、小さな民主主義と大きな民主主義との間のさまざまなひずみについておよびさまざまな形でのこれら二つのレベルがどのようにして一つに結び付けられる得るかについて議論されている。最終章においては、地方自治体における民主主義の発展に関わって継続中の議論や調査研究の課題が示されている。





第2章 民主主義への取組み方



民主主義とは住民自治を意味するが、それがより正確に何を意味するかについてはいろいろである。それぞれの著者が民主主義の概念について定義する場合、しばしば、多くの意味を持った住民とか自治とかの単語を明確にするように試みることになる。第一段階としては、直接民主主義と間接(代議制)民主主義とを区別することが重要である。しかしながら、この違いは、必ずしも常に明確なものではない。直接民主主義が共同体社会の問題を処理する唯一の合法的な方法であるべきだと主張すると思われる者はほとんどいない。もう一方において、代議制民主主義の支持者たちは、あらゆる直接参加の形態に対する反対者であることはほとんどない。したがって、それらがそれぞれ別個にあるよりもより興味深いのは、むしろ混合物である。もう一つの違いは、民主主義に対するリベラルで な視点である。前者の事例としては、それは、社会におけるさまざまな個人の利害を集約し調和を図る民主主義の制度化された基本的使命であることである。そして後者の事例としては、規範的な統合に関わるということである。すなわち、共同体社会の規範、および共同体社会の最高の価値を築くことである(マーチ,オルソン 1989)。これと密接に関係のある変形は、競争民主主義と参加民主主義である(レーウィン 1970;ルンドクィスト 1976;ハーマンソン 1992)。競争民主主義という概念は、手短に言えば、政治上のエリートが互いに支持されるよう競争することを意味する。政治団体への市民の参加を高めることについての期待は低いものとなっている。民主的な諸制度は、それ自体が目的というよりは、むしろ手段としてみなされている。市民の考えていることは投票によって表明されるが、選挙と選挙の間には世論調査とか利用者に対するアンケート調査とかなどを通しても集められる。エリートたちは、それらの情報を解釈し、それらを適切と判断されるような決定に変えていく。参加民主主義という言葉の概念は、市民の参加そのものが目的であるということを意味している。すなわち、共感を引き出し民主主義を育てることを意味する。しかしながら、これはまた、より一層合法的な決定のための手段ともみなされる。決定はより良いものとなり、個人は民主的な市民へと成長する。市民の抱えている問題や要望に関する知識は、政治家と市民との間で行われる共同の学習の場での意思疎通の過程において築かれる。今、私たちは、さまざまな形で混ざり合った6つの類型を有している。

数ある民主主義モデルを別々のものとしておくことは、民主主義についての議論のニュアンスやその民主主義がどのように機能するかを分析するために非常に価値あることである。若干の事例においては、2つ(ルンドクィスト 1976)、3つ(プレムフォー、サンドクィスト、サンネ 1994,ラスチ 1998)、あるいは8つ(ヘルド 1996)のモデルにより実験されている。それらは、実質が部分的に結び付いているだけのモデルにすぎないということが強調されるべきである。実験的に2以上のモデルがいろいろな改革がどのような方向に進んでいくか判断するために用いられるだろう。次に、私は、しばしば複雑化する民主主義に関する議論を3つの類型に減らすこととする。すなわち、スウェーデンの民主主義とこれに対峙する集産的な取組みと個人主義的な取組みの2つである。要約すれば、私は、このような分類が現代スウェーデンにおける民主主義に関する議論上の基本的な差異を実質的にカバーしていると考える。





2.1 スウェーデンの民主主義

スウェーデンの民主主義においては、市民参加に対する考え方は、基本的には「現実的」なものである。すなわち、すべての者が参加することはできない、あるいはほとんどはできないであろうということである。政党や団体は、さまざまな観点で、全体としてまたは特定の集団として市民を代表するものでなければならない。「自由な意見の形成」や「住民意思の実現」が基本的な価値となっている。住民意思の実現をもたらすためには、民主的な「技術上の価値」が必要とされる。そのような基本的な技術上の価値とは、政治の内容に関して、選出された政治家と有権者の意見との間でおおまかに一致すべきである、ということを意味する「意見の代表性」である。政党は、その綱領に従うと予想される被選挙権のある代表を指名する。それにより、有権者は、選出された代表者たちがどのような政治運営することができるかどうか、前もって承知することができる(バーゲルソン,ウェステルストール 1980;ウェステルストール 1970)。

議員は二重の役割を持っている。すなわち、市民の要望を聞きそれを伝える代表と、さまざまな要望の優先順位を定める意思決定者としてのそれである。代議制民主主義の過程において中核をなしているのは、吟味し優先順位をつけるという面での意思決定であり、市場などのような集計的な秩序とは異なる。このようなことから、政治責任が明確であるべきことがらに誰が責任を負うべきかは、市民にとっては明らかである(ウェステルストール 1997)。これは、スウェーデンの住民自治の理念の基本的な特徴である。基礎自治体レベルにそれを持ち込むとしたならば、地方自治体における住民自治の理念は、次のように述べることができる。

地方自治体における住民自治は、次の二つの流れとして述べることができる。第一は、「政治の中身」である。すなわち、基礎自治体事業の目的と範囲を統制する理念についての言葉による表現、集計、計量、評価からなる。政治が形成される際の市民参加は、代議制の形態で行われることが期待されている。この流れにおける非常に重要な活動家たちは、理念モデルによれば政党である(参照 prop. 1976/77:187など)。これ(政党)が、いわゆる公益にかかわる目標設定からこぼれおちてしまう市民の抱えている問題や要望(さまざまな特別利害)を民主主義の過程に取り込むことになる。非政府組織またはその他の団体および集団はさまざまな利害を組織化しているが、このモデルにおいては、政党は、住民に深く根差しているがゆえにしっかりとした正当性を有している。

基礎自治体議会は、もっとも重要な政治上の施設である。すなわち、「代議制による地方自治体の民主主義においてもっとも重要な機関は議会の会議である」(prop. 1990/91:117, s.17)。そこでは、「基本的な状況に関わる案件、またはさもなければ当該基礎自治体にとってより一層重要な案件について…」意思決定が行われる。これは、その他に「事業の目標および目的」、および「予算、税金、およびその他の重要な財政上の問題」含んでいる(地方自治法第3章第9条)。ここでは、政治上の要素がおおむね優勢な決定がなされる(リンドクィスト、ロスマン 1991,s.28)。議会においては、全般的な価値の分配に関わる重要な政治上の議論が行われる。そこでは、政党の直接選出された代表者たちが自分自身と政党の立場を主張する。そこでは、特別利害から公的利害へと民主的な変換がなされる。こうした吟味と優先順位の決定により、総選挙において有権者によって判断されるべき最終的な計画(最終的決定)が導き出される。

第二の流れは、「政治の外形」である。すなわち、実施機関である、執行委員会、委員会、執行機関および責任単位組織などである。地方自治法上の意味においては、執行委員会および各委員会は、議会において為される包括的な決定が機能するようにする責任がある。基礎自治体執行委員会は、基礎自治体財政に対する責任を通して独特な地位を有している。委員会は、「直営」で運営されようと委託に出されようと、それには関わらず、すべての事業に対する責任を負う。委員会は、その事業が議会が定めた目的と目標に基づき運営されるよう責任を負う(地方自治法第6章第7条)。その政治上の統制は、執行機関および単位組織の目的合理性にかなった処理に則ったモデルに基づいて機能すると考えられる。

基礎自治体レベルと同様に、これらのモデルにより、私たちは、さまざまな役割で登場する。市民という資格において、また政治的人間として、私たちは選挙に参加し、政党組織にする。そして全体として基礎自治体政治に影響を及ぼすために議員と接触する。利用者とか被庇護者、顧客という資格で、私たちは、基礎自治体の福祉のシステムを利用し、また基礎自治体のサービス提供に影響を及ぼすこともありうる。利用者の利害は、これらのモデルに基づき、代議制民主主義に従うこととなる。すなわち、住民自治に対する限界は、これらの取組みに基づき、明確に維持されなければならない(ウェステルストール 1997)。

要約すれば、地方自治体における住民自治についての理念は、輪になった適法性・統制の鎖、政党/住民運動-議会-委員会-執行機関、で表わすことができよう。これは、民主主義がどのように形作られるべきか、そして組織はどのように統制されるべきかという多くの仮定に基づいている。



第一に、政党および議員が決定的な役割を演ずる場である代議制民主主義が強調されている。このことは、協同組合とか住民投票、利用者参加などのようなその他の政治参加の形態は従属的な位置づけにあることを意味する。

第二に、政治部門と非政治部門(行政執行、提供、専門的活動、利用者参加など)との間の基本的な理念上の違いである。政治家がする仕事と公務員/職員がする仕事との間の境界に関しての議論はあまりない。現代において優勢な規範は、政治家が統制の目的と目標を確定し、行政が実施をするということである(政治と行政の複合制)。

第三に、その統制理念は、基礎自治体の機関は、主として、専門性と目的合理性に則って処理するということである。組織改正や統制システムの変更は、(経済性と質的側面の観点から)事業の効率化をもたらすと期待される。事業報告とか会計監査報告、評価報告書、貸借対照表、その他制度上の加工された情報などのさまざまな道具を用いて、目的の達成が判断されうる。



私たちは、今日の多くの民主主義の理念をこれらの形態の民主主義に分類することができる。さまざまな類型のより一層開かれた民主主義がある。それらは、単にスウェーデンの民主主義に対する長期的な影響が認められるだけの新しい形態のものである。概して、これらの新しい要素は、とりわけ、形態がますます政治の内容に適合させられること直接民主主義の要素は、政党を介した形態の犠牲のうえに強まっている。「下からの視点」がいよいよ頻繁に強調されること、政治と行政の複合制が政治と行政の一体制の概念に移行すること、そして利用者参加などような部外者による行政が専門化された行政に対抗することによって特徴づけられる。このようなスウェーデン民主主義の変化は、集散主義的な類型のものと個人主義的な類型のものとを含んでいる。





2.2 集団的な考え方と個人主義

現代の民主主義に関する著述には、さまざまなタイプの集散主義に則った民主主義が復活してきている。「強い民主主義」(バーバー 1984:プレムフォルス,サンドクィスト&サンネ 1994)、「計画民主主義」(エリクセン&ウェイゴルド 1997)、「対話の合理化」(ハベルマス 1988)、「対話民主主義」(レフテゴルド 1998)、「市民」(プットマン 1993)、「推論的民主主義」(ドルーゼック 1990;概要について、ハールベリ 1997参照)などがそうである。「共同体主義及び共和主義」に関わる著述には、単なる消費者や利用者ではない政治的人間である市民の意思と能力についての希望に関わる主題が繰り返し出されている。(バング 1996:ヴァン・グンステレン 1994)注2



注2

いわゆる“第三のモデル”(ペテルソン等 1998:ラスチ 1998)と呼ばれている推論的民主主義または計画民主主義はしばしば、参加民主主義または共和制民主主義と呼ばれるものにかなり近い。ある著者らが推論的民主主義とその他のより伝統的な参加民主主義モデルとの間に相違を認めているとしても、それらを一体のものとし、推論的民主主義を参加民主主義の代替というよりもむしろその発展したものと見ることには十分に合理性があると思われる(レフテゴルド 1998,s.63参照)。これらに共通の対照的のものとして、競争民主主義またはエリート民主主義がある。



簡潔にいえば、市民は、政治上の議論や政治的意思決定への協働を通して、共通の未来の創造に積極的であるべきだと考えられている。このことは、善良な市民についての表現である。地域社会における政治参加は、市民の民主主義教育のための重要な手段であり、職員の満足の源泉である。市民は、権利と義務とを持った政治的人間である。とりわけ、義務は、共通の問題についての話し合いをともに行うことを意味する。市民にとっての最大の美徳は公的利益を自己利益よりも優先することである。基礎自治体においては、それぞれの市民が能力にしたがって民主主義を発展させることに貢献する活発な政治論争が行き渡っていなければならない。このような議論が意思決定に導き、また同一性の創出ともなる。話を聞き議論する意思は、強いなものでなければならず、どれが正しい立場であるか前もって定義されていない。原理的には、すべての立場と評価は多少なりとも合理性がある。これが相互にお互いを尊重し合う相手同士の対話のための基本点でとなっている。

政治的市民を育てるというこのような理念に対して個人主義の方向性がある。いわゆる競争民主主義モデルにその理念的系譜を有するものである(シュムペーター 1987;ダール 1989)。いわゆる制度改革論争の間に、「政治抜きの民主主義」として特徴づけられるところのものについて、かなり明瞭な考え方が現れた。改革を実現するために、市民は政治制度を経由して遠回りする必要はない。この理念は、次のように表現されよう。すなわち、基礎自治体がサービスとか配慮とかの形で提供するものは、できる限りの範囲において、競争の下に提供されるべきである。基本的な価値は、企業の経済的効率性であり、必要性よりもむしろ需要を満たすことである、と。

その政治の領域は制限されるべきであり、サービスの提供とはきっぱりと分離されるべきであるが、そこにいる政治家が最終的な政治上の責任を取ることが重要である。選挙の際には、政党/政治家は、代替案との間で実際の競争を生じさせるように、自分たちの計画を明確な形で提示すべきである。市民は、どのような政治的利害も、投票する権利を利用すること以外に期待することはない。民間の領域は、これらの共通の部分よりも優位にある。市民は、なによりもまず、さまざまな学校教育、デイホーム、医師などの中から選択する権利をもった顧客である。選択の自由は、民主主義の決定的な部分である。代議制民主主義は、あるべき学校教育等々はどのようなものであるかについて政治家が決定することを意味しているが、この取組み方によれば、選択の自由は直接民主主義を意味する。

個人主義的方向の民主主義の視点と集団的な考え方的方向の民主主義の視点との間の違いは、異なる存在論上の仮定、すなわち、その概観や機能が実際にはどうであるかについての仮定に基づいている。個人主義者は、個人は、共同社会に依存することに対してよりも自ら決定することをよりいっそい望んでいると考えている。その他、個人および集団は、選出された政治家によって集約されることになる利害を提供する。集団的な考え方者は、社会に関わる問題については、個人的によりも集団的に解決することをより一層望んでいると考えている。好みや利害は、変化するものである。そして、人は、共同社会における政治上の対話や共同処理に加わるならば、より利己主義的ではなくなる。





2.3 取組み方の混合

実際のところ、これら二つの取組み方は、さまざまな混合形態のなかに同時に現れる。ますます一層このような多元的共存が出現するようになってきている現代福祉社会においては、これら二つの混合していない個人主義または集団的な考え方としての具体的な解決策は出てくることはない(ソレンセン 1998)。

この10年間における多くの基礎自治体および地域社会での発展は、集団的な取組みと個人主義的な取組みの両方が積み重ねられていることを証明している。効率性の評価は現代の基礎自治体が創出される場合に重要であった。第一に、地域に適合した全国的な福祉政策を効率的に運営することができる福祉施設の建設を扱ってきている。1960年代以降、政党間の基礎自治体理念の相違は、特別に大きなものではない。どの政党も、基礎自治体統合の補強に関する議論基礎自治体は、自ら政治責任を取る自律的な単位団体であるべきだとは主張してはいない(ストランドベリ 1998)。

現在の基礎自治体における改革活動は、主に、政治的な市民というよりはむしろ公的サービスを消費する市民をねらいとしている。参加の精神、責任感、責任の重さ、参加、および利害についての表現とかの価値は、アプローチのし易さ、サービスの質、そして選択の自由よりも劣る。「制度改革」に関する政治上の議論は、行政やサービス提供の形態に関する議論を抜きにしていた。国家と市民に関わる政治上の単位としての基礎自治体に関しては除かれてはいなかった(ストランドベリ 1996,モンティン 1997)。

別の要因とともに、とりわけ基礎自治体における改革政策は、概して、市民がより一層自分自身を政治的な人間としてよりも消費者としてみなすようにさせる。住民は、概して、サービスに満足はしているが、政治家には満足していない。サービスに不満足であると同時に政治家に満足しているものを探すことは困難である。議員が享受する正当性は、行政およびサービス提供の需要や要望を満たす能力を抜きにした彼自身の資質に基づくのではない(モンティン 1995,モーラー 1996)。この考え方の延長上においては、個人主義による民主主義の考え方は、SNS民主主義諮問委員会が「市民としての役割が公的部門のサービスの利用者および消費者としての役割に結び付けられていた」(ペテルソン等 1998,s.16)と表現しているように、非常に現実的である。

同時に、大多数の市民は、個人主義的な解決よりもむしろ集産的民主主義の団体を形成している。現代の市民団体が再構築しようとしているのは、長い伝統のある住民運動である。例えば、新しい住民運動として、地方において発展しつつある集団や地域社会の政治が注目される(ヘルリッツ 1998)。

しかし、既存の民主主義の諸制度の、需要や問題を定義し、優先順位をつけ、資源を動員する能力が、ますます一層、問われてくる。過去20年間、政党および住民運動は、市民に対してその正当性を維持していくことがますます困難となってきている。伝統的政党は、もはや1950年代及び1960年代の一部におけるような活力のある民主主義の運動団体ではない。政党制度およびその他の民主主義の制度が出現し、現在とは違う社会にいまだなお結び付けられている。こうした民主主義の基準、サービスの提供、および団体は、産業化社会の発展に際して形成されてきた。政党制度は社会構造の発展を反映している。組織化、動員および民主主義的な発展は、重要な価値である。

今日の社会は異なっている。今日の社会は、非常に明確な個人主義と新しい形態の政治と民主主義の実験によって特徴づけられる。利用者民主主義とか新旧の混交した地域社会の運動といったような代替的な民主主義の形態が発展してきている。ある事例については、基礎自治体指導部の好意的な援助があってもなくても自身で問題解決能力を発展させる地域の市民団体に関わるものである。別の事例では、新しい形態の市民および利用者参加を目指した基礎自治体政治の戦略である。これらの民主主義団体の大部分は、全体として、政党に依拠した民主主義理念にというよりはむしろ「地域に依拠した」民主主義理念に基づいていると思われる(ヘルリッツ 1998)。このことは、共通の地域における問題とか苦情とかは、政党政治の理念よりはむしろ社会の発展および民主主義的な活動形態に関する視点の観念の強化の基礎となっているということを意味する。このような発展は、集産的な民主主義の取組みについてもまた高度に関連するといえる。

環境や経済、社会サービスという点でより一層耐久性のある社会というものを欠いた目標は、それ自体は民主主義ではないとしても、基礎自治体のアジェンダ21に関する活動もまた、集産的な民主主義の実験の一形態である。スウェーデンにおいては、アジェンダ21は、基礎自治体の事業であると定義づけられている。基礎自治体の政治家および公務員が、より一層耐久性のある社会のための長期的な手段である活動に、個々の市民および団体、企業を組織化するということが期待されている(ペテルソン等 1997)。地域社会の活動主体間の利害を維持することが困難であるとしても、相対的に広範な組織化がどの基礎自治体においても行われるようになってきている(ブロー等 1998)。

それらが示している、個人に基づきかつ集団的な考え方に依拠する民主主義の考え方及びその経験は、社会学者ロナルド・インゲハルトが「ポストモダニズム化」として示しているものと大体において一致する。さまざまな時点(とりわけ1981年と1990年)での43の国々(総計で世界人口の70%を含む)のなかでの選択の評価測定に基づいて、インゲハルトは、それらが高度産業化社会における評価を変更させることができるという結論を引き出している(インゲハルト 1997)。とりわけ、このことは良好な経済成長の発展とぶつかった北欧諸国および戦後の高度福祉国家に当てはまる。

このような近代化は、個人主義を指向し、政治その他の権威の価値の低下を導くこととなったが、また伝統的なものよりも集産的な形態の価値を高めるようにも導いた。この傾向は、旧来の民主主義の諸制度はそれとして、生活の質と共通の問題への参加が経済成長と伝統的な諸制度に対する信頼よりも優先されるということである。さらに、市民が高く評価している部門において、公私の別なく、従前と同様な大きな役割を演ずる。インゲハルトは、政治制度は、他の制度によって代替されるのでないならば、このような価値の転換に適合させられなければならないという結論を引き出している。この社会において、興味深く重要な価値の転換が進行している。近代的な企画の民主主義の諸制度がさまざまな形で挑戦されている。今後の基本的な問題は、これらの諸制度および組織がどのようにこうした変化に適合していくかである。

このような概観は、個人主義の方向においても集団的な考え方の方向においても、基礎自治体における民主主義の変化について議論することが重要であることを示している。おそらく、「出来上がっている民主主義」(オルソン 1998)、すなわち既存の民主主義の諸制度の正当性を強化するのが発展の特徴であるが、それはまた、新しい民主主義の諸制度に対する需要に影響を及ぼす発展の特徴でもある。

民主主義に対するさまざまな取組みについてのこれらの議論により、数多くの具体的な民主主義の実験が紹介され、論評されることになる。私たちは、1980年代のはじめに、大胆に現れた改革、すなわち基礎自治体内部における分権化を始めた。





3 地区委員会



3.1 その拡大と改革の目的

1970年代のほとんどの期間、さまざまな民主化促進の方法が議論されていた。その背景は、とりわけ、基礎自治体合併法の施行であった。これは、かなりの数の議員を減らし、基礎自治体公務員の政治的な影響力を増大させることとなった。さらに、新しい活動的な構成員、とりわけ若者と女性の構成員を募集することにより、政党の問題が注目された。民主化についての議論の結論は、1980年に発効されたいわゆる地方組織法となった。この法律は、部門包括的な地域における意思決定委員会(地区委員会)を設置することができるものとしている。とりわけ、その時期以降の改革が大規模市の改革となったことにより、象徴的に市地区委員会が一般的となった。

地区委員会/市地区委員会(KDN/SDN)を設置するための議論は、民主主義、効率性、地域適合性および信頼に関して及んでいた(モンティン 1989)。まず第一に、KDN/SDNは、議員の数が増大し、それによって政治家と市民の間の接触をもまた増大させることとなる。政党の地方組織が活性化されることにも強い期待がある。第二に、部門包括的な委員会および行政は、財政運営により効率的なものとしなければならない。行政および事業に近い政治上の意思決定者もまた、統制をより効率的なものとしなければならない。第三に、KDN/SDNは、サービスを地域の需要により良く適合させるようにしなければならないということである。第四に、政治上の分権化は、政治家と市民との間の信頼関係の改善をもたらすものでなければならないということである。包括的な政治的意思決定と地域的な政治的意思決定の関連は、地区の人々を広範な協力と連帯に集めることができるならば一層明瞭となるだろう。1980年代の中頃には、およそ20の基礎自治体が地区委員会をその基礎自治体全域または一部地域に限って導入していた。1985年以降は、KDN/SDNを設置した基礎自治体はわずかである。KDN/SDNに対する関心は冷めてきている。1985年には、65の基礎自治体が、調査の後、そのような委員会を導入することをあきらめることを選択した。1986年の冬には、47の基礎自治体が導入の前提条件について調査したことを報告している。1年後には、そのうちの40の基礎自治体が、基礎自治体の構造はそのように地域的な分割や政治的分離には適してはいないこと、費用の増大、公務員の抵抗の恐れがあること、あるいはKDN/SDNを設けている他の基礎自治体の体系的な経験を欠いていることなどのいくつかの理由により、もはや地域組織に関心がないと報告していた。全部で8つの基礎自治体(ボットクールカ、ジェルフェラ、リンショッピング、ヌーショッピング、ウッデヴァラ、ウップランド、ヴェスビー、ヴァドステーナ、およびヴェクショー)がその地区委員会を解体していた。その理由は、とりわけ、官僚制が強まること、意思決定過程が複雑になること、基礎自治体住民の関心が低いこと、基礎自治体の地理的構造に合わないこと、権限が縮少する恐れがあること、平等の原則を脅かすこと、そして十分な効率性の向上に寄与しないことなどであった。

しかしながら、私たちは、KDN/SDNに対する関心が消え失せたと明確に主張することはできない。地域組織を設ける基礎自治体が多数出現するということはないが、全国で3つの最大の基礎自治体が市地区委員会を発足させている。イェテボリ市は、1989年に21の市地区委員会を設置している。ストックホルム市は、1997年に24の委員会を、そしてマルメ市は、1996年に10の委員会を設置している。後者の二つの市においては、それ以前に何年間か実験事業が運営されていた(ベックおよびヨハンソン 1998)。市地区委員会は、マルメ市においては非常に政治問題化しているように見える。マルメ市では、1998年の選挙運動の近代化が、それらは解体されるべきであるという方向に仕向けることとなった(今日の基礎自治体 no.26,1998)。人民党及びスコーネ党は改革に反対の立場である(ペテルソン 1998)。



3.2 評価

イェテボリ市の市地区委員会に対する包括的な評価(ヨンソン、ルベノウィッツおよびウェステルストール(編集)1995;ヨンソン、ニルソン、ルベノウィッツおよびウェステルストール1997)においては、設定された目標に対して肯定的な結果と非常に批判的な結果とが共に出されている。批判的な結果のなかには、1983年から1993年までの間に、市民の政治家との接触の増加は「ごくわずかな程度」であるということが指摘されている。政治家との接触は、この二つの時点間で2%増加していたが、この差は統計的に保証されたものではない。1%は市地区の政治家との接触に、そして1%は別の政治家との接触に分類される(ルベノウィッツ 1995)。研究者らはまた、「…市地区委員会はイェテボリ住民にほとんど人気がない。決して特別に情報が提供されているわけでもなく、その事業に関心を持ってもいない。」ということも指摘している(ウェステルストール 1995、 s.324)。イェテボリ住民の基礎自治体サービスに対する態度は、この4年間に肯定的な方向に変わってきている。費用対効果は改善されてきている。地区行政部門の長は、以前よりも財政に関して十分に把握するようになってきている。結果的に、政治家の事業に対する影響力は、とりわけその地区を良く知ることにより、増大している。市地区委員会の議員は、その評価として、「部門についての政治家」からより一層「全部門的な政治家」となってきた。

1996年以降、マルメ市の活動的な市地区委員会は、その新しい役割をいまだに理解していない。市地区委員会としての役割に対する見解は、イェテボリ市におけるそれらと同じようには肯定的なものではなく、またその公務員と比べても同じように活動的でもない。マルメ市における通常の政治活動に対するさまざまな側面についての見解は、政党連携によって強力に統制されていると考えられる(ペテルソン 1998)。

市民参加および市民と議員との間の関係を発展させるという意味での民主化と同様に、地区改革/市地区改革は特別にうまくいっているわけではないように思われる(モンティン 1989;ウェステルストール 1995;ペテルソン 1998)。注目すべき例外は、ストックホルム市における最初の3つの市地区委員会に対する評価である(プレムフォールス、サンドクィストおよびサンネ 1994)。地域レベルにおける共同のチームワークにおける市民と政治家と公務員/職員との間の対話は、改善の方向に変わってきた。政治家の地域についての認識は、事業に責任を有するのが中枢の委員会であった従前よりも、面倒な優先順位の決定に関する議論などがより一層充実し、住宅問題の現実により一層結びついたものとする上で有益であった。

こうした評価の結果は、そのような評価に関して一般的に利用されるものとは、主として別の手法に基づいている。この研究は、サーヴェイ調査、すなわち市民や政治家に対するアンケート調査などでなく、情報の質的な加工がその量よりも重要である掘り下げた事例研究によりなされた。サーヴェイ調査の技法はKDN/SDNについての別の評価においてのみ優位にあり、より質的な事例研究に基づいた調査研究だけがSDNが実際に地域レベルでの市民と政治家との間の共同のチームワークのための役割を演じていることを指摘することができたので、この結果は手法選択によるものといえる。

しかしながら、もうひとつの重要な側面は、民主主義の視点から選ばれている。この事例においては、ストックホルム市の市地区委員会に対する評価は、「住民との距離の短さ」、「迅速性」そして「強さ」という民主主義の三つの異なる視点から、作業がなされた。この後者のに変形が、正規の制度上の関係とは別に、地域における活動家たち達が出会うさまざまな過程や対話において生ずるものをとりわけ強調している。このため、例えば、「政治」と「行政」との区別の問題は、それ自体、望ましいものでは決してない。むしろ、市地区の全域をさまざまな活動家たちが共通の問題を扱う場である政治上の共同体としてみなすことである。市民と議員の間の議論の内容は、非常に重要である。おそらく、この議論は、そんなに多くはないが、地域レベルでの市民と議員との信頼を増進するであろう。地域における市民の需要がどのようなものであるか認識している政治家は、そのような認識を欠いている政治家よりも対話がし易い。このような会合が相互の見解などについての理解を増進し、共通の問題が解決されることに貢献するならば、民主主義はより徹底される(プレムフォールス、サンドクィストおよびサンネ 1994)。

KDN/SDNに対するいくつかの評価は、いくつかの点で、改革は、効率性の観点および政治上の統制の観点からの方が市民参加の観点からよりもうまく行われたことを示している。さもなければ、その他の方法およびより論理的になされた見方により何らかの結論に至るであろう。「結果」は、ほとんどのところ、民主主義に対してどのような見解が抱かれるか、そして活用される方法はどのようなものかによって判断される。



3.3 地区委員会の直接選挙についての是非

KDN/SDNの直接選挙についての問題は、そのような改革と同様に古くからある。何度も、個々の政党、とりわけ中央党は、基礎自治体にそのような機会を与えることを提案していた。このことについてはまた、何度も国の審議会の調査委員会でも議論されてきていた。しかし、民主化促進審議会が初めてはじめて1996年にKDN/SDNの直接選挙に賛成の立場を取った。これ以降においては、ストックホルム市が3つの市地区委員会に直接選挙を導入するため、現行の規定の免除を求めている。政府は、民主化促進審議会の提言もストックホルム市の規定適用免除の申請も却下した(ベック&ヨハンソン 1998)。これらすべての3つの大規模な市域においては、いくつかの政党は直接選挙に賛成であるが、社会民主党および保守党が抵抗をしている(今日の基礎自治体 no.28, 1998)。

参加と自治の観点は、統治の観点と対峙する。高度の参加と基礎自治体住民に対する政治責任の必要性が重要であるならば、直接選挙は自明のことである。しかしながら、現在のところ、重要であるのは、統治の原則であり、包括的な政治責任である。スウェーデンは、他の北欧諸国とともに、この点で、基礎自治体の下位単位組織の直接選挙が一般的であるその他のヨーロッパの状況の例外となっている(ベック&ヨハンソン 1998)。この背景にある要素は、比較的に強い国家統合下にある地方自治体の福祉制度としての基礎自治体の位置づけであろう。統治の観点が参加と自治の観点よりも上位に置かれている。別の事例においては、議会の政党が自ら直接選挙かどうか決定することができ、政府がではない。基礎自治体自体がこのような制度上の問題について決定することを認められていないかぎり、KDN/SDNはなんらスウェーデンの民主主義に対して挑戦となるものではないといえよう。しかしながら、このような圧力は、現在のところ、強固であると考えられる。なによりもまず、これらのSDN改革を推し進めている3つの大規模市域であり、コペンハーゲン及びオスロにおいて実験として直接選挙が導入されているということである。





4 議会の刷新

近年においては、基礎自治体議会の活動形態に対する関心が増大している。こうした関心の増大の背景は、一連の議員の状況の変化に求められるだろう(参照 モンティン 1993;モンティン 1993a;モンティン、オルソン&ペテルソン 1996;SOU1993:93)。それは、財源の縮少、市民の信頼の低下および基礎自治体における行政の専門化の進行である。議会は、しばしば、実際には既に決まっている決定の「跡付け機関」、政党の位置づけが固定されていて、議事日程からめったに外れてさらに議論したりすることのない一つのフォーラムとして特徴づけられる。その他の強調される問題は、かなり多数の基礎自治体の政治家が任期中に止めることと議会の会議が案件がないという理由で設定されることである。

議会の問題は新しいものではない。すでに、1960年代の半ばには、十分な情報を持った観察者が「法人としての議会は、登録事務所になりさがってしまっており、その一方で、基礎自治体の執行委員会においては活発な意思決定がなされている」としている(ウェルゲニウス 1966)。しかしながら、大きく一致しているところは、議会がさまざまな方法で「活性化される」必要があるということを助言していると思われる。若干の事例においては、議会はその政治上の権限を「取り戻す」べきであると主張されている。このようにしてこそ、議会の構成員および市民の基礎自治体の最も重要な機関に対する信頼は増大することになる。



4.1 議会の活動形態

近年、基礎自治体議会において一連の活性化の試みが始められている。一部は、地方自治法の直近の改正に先き立って行われた議論に由来する。さまざまな方法の中に、例えば、会議の地方開催とか公聴会、特別小委員会の設置などがある(モンティン、オルソン、およびペテルソン1996)。

主開催地以外の別の場所での会議の地方開催は、1992年から1995年においては、基礎自治体の半数において行われていた。これは、住民の規模、人口の稠密度、領域の広さおよび基礎自治体は唯一の大規模な中心地によってすべてが決まるというわけではないということに関連する。人口密度の高い類型の基礎自治体は、その会議の地方開催にあまり関心を示さなかった。これについての説明は、主に、議員が中心地に住んでいる、すなわち周辺部には議会に強要すべき代表者はいないということであった。小規模な基礎自治体においては、中心地は、必ずしも大勢を支配してはおらず、議会には基礎自治体合併以前の昔の小さい基礎自治体以来続けている代表がいる。このことは、議会がその都度移動させられるということを意味する。

公聴会および小委員会は、1990年代に登場した比較的新しい刷新手法であるが、全国の基礎自治体の三分の二以上が何らかの形態の公聴会を有している。その方向性(主題、合同委員会、自由質問)および形態(事前提出、任意委員に対する自由質問)についての運用は、それ以上に統制された形態よりも優勢に変化していた。大多数の基礎自治体は理念を見放していた。一般大衆もまた、公聴会に対する関心の無さに失望している。しかしながら、方向性と形態は、関心を高める役割を演じていると思われる。

特別小委員会の実験は、1992年から1995年においては、29の基礎自治体で行われている。すべての類型および人口規模の基礎自治体に一様に広がっている。これらの方向性、具体性、および目指す理念のレベルはさまざまである。常設および臨時の小委員会がともに登場している。方向性の事例としては次のようなものが有る。すなわち、目標管理についての評価/基礎自治体事業、アジェンダ21活動、将来の問題、民主主義の問題、地域社会の発展、議会の活動形態、観光事業、および平等である。その小委員会活動で知られている基礎自治体の一つがリンショピングである。比較的早い時期にその政治上の機関を変革してきた基礎自治体の中には、1990年代のはじめに「基礎自治体集会 kommun-bemaktige」と呼ばれる新しい政治の場を創設したスーラハムマルがある。議会活動のもう一つの変革に関しては、二つの基礎自治体が挙げられる。スンズヴァルは、議会活動が計画され、その方向性が議会を活性化することにある「議長会議 presidiekonferens」を有している。もう一つの事例は、1995年に、地域の民主化計画を立てたオステルスンドである。

いずれの広範な議会制度の改革も、1990年代の半ばにには注目されることはなかった。何らかの改革を行っていたのは少数の基礎自治体であった(モンティン、オルソン、およびペテルソン 1996)。全国の議会制度の全体的な改革は、近年においてはまったく行われていない。議会は、1990年代の終わりに、いまだなお、その役割を手探りで求めている。議会の活性化の問題が基礎自治体に対する強い関心を目覚ますとしても、その機会は、それほど広範には活用されていない。議会は、しばしば、十分に確立した活動方法で、かなり予見しうる、安全な制度であると考えられている。





4.2 根本的な改革か?

とはいえ、少なくとも若干の基礎自治体に、一部に全般的に議会のそして議員の役割の再評価の方向を指摘する興味のある例外が有る。この方向性は、議会および基礎自治体執行委員会の役割をともに強化する。すなわち集権化である。これは基礎自治体におけるポスト数を削減させることになる。委員会は地盤低下または統合整理される。大規模なポスト数の削減は、1992年から1994年までの間に行われたが、その後も行われている。1997年の春には、いくつかの基礎自治体が、特に委員会の数を削減することにより、議員の数を削減することを計画した。スウェーデン基礎自治体連合の地図の塗り分けによれば、1997年秋には、1999年までにさまざまなタイプの基礎自治体組織の改革の実施を計画しているか、あるいは委員会の所管領域や行政の統合を含めて、既に実施し始めていたのは、208の基礎自治体のうちの148であった(スウェーデン基礎自治体連合 1997)。1998年のはじめには、10の基礎自治体が議会の定数を削減することになっている。この改革により、1998年の総選挙の後には、全部で200の椅子が消失することになる(今日の基礎自治体 no6, 1998)。

一つの変化としては、若干の委員会が廃止され、責任が基礎自治体の執行委員会に集中されることである。基礎自治体執行委員会が、部門を所管する委員会の事業責任者との交渉を必要とするということ以外は、その基礎自治体の事業および財政について強力に全体を掌握するべきであるというのがその理由である。ウップランド、スーラハムマル、ステヌングスンド、スヴェダーラ、およびノルダンスティグなどのような若干の小規模な基礎自治体においては、いくつかの部門を所管する委員会が廃止されている。若干の事例においては、議会の権限が強化されるべきであることが示されている。スヴェダーラにおいては、デンマークモデルにより、「権限は議会に有る」ということを示すために基礎自治体執行委員会を廃止することが議論されていた(今日の基礎自治体 no20, 1997)。1997年8月には、議会は、市民参加と代議制民主主義の諸制度を強化する計画を採用した。これは、参加(住民自治)と政治力の強化を併せたものである。議会は、小委員会およびプロジェクト・グループで組織される。市民は小委員会に招かれ、プロジェクト・グループは議会の構成員およびそれ以外のものとで構成される。結局のところ、議会の活動形態は、より純粋に議論と意思決定の場になるべきだと考えられている。委員会および執行委員会はなくなり、すべての事業に責任を有する常任委員会によって置き換えられる。その他に二つの公権力行使委員会が有る。

もう一つの事例は、その事業委員会を廃止し、議会にいくつかの役割を復帰させることを計画したヘルーダ市である(今日の基礎自治体 no35, 1997)。クングエルヴにおいても、議会の役割を強化する実験がなされた。議会は、地域の問題に関わる議論に時を失することなく参加する場となることとなる(今日の基礎自治体 no8, 1998)。ソーデルテリェから分離した新しい基礎自治体であるヌークヴァルンにおては、伝統的なもの以外の方法が追求された。議会には重要な役割が与えられ、部門委員会は設置されていない(今日の基礎自治体 no9, 1998)。さらにもう一つの事例は、重要な意思決定を議会に取り戻し9つの起草委員会を設置したステヌングスンドである。

これらの比較的根本的な基礎自治体の政治上の組織の改革については、一定の評価がある。しかしながら、いくつかの事例においては、これらの改革は最近実施されたもので、それらの効果を評価するのは適当ではない。スーラハムマルは、最も早くにとりわけ有権者と議員との関係を強化するため部門委員会を廃止した基礎自治体の一つである。この目標で、委員自らどの専門領域で活動するか選択する審議集団(bemäktigegrupper)が導入された。審議集団(bemäktigegrupper)での活動は非公式であるべきで、議会に起草する機関を形成することなく意思決定されることはない。そのため、正規の議事日程は必要とされない。審議集団(bemäktigegrupper)の登場は、大きく、かつ重要な改革であることを意味する。政治上の議論は法令に縛られることなく、活動形態を定めるものでもない。その他の側面に関しては、伝統的な方法が依然として決定的に機能すると思われる。審議集団(bemäktigegrupper)の構成員は、政治上の装置、とりわけ議会においては、依然としてその理念に強く結び付けられている。政治上のヒエラルキーはほとんど不変のままである(ペルマン 1997)。

ステヌングスンドにおける実験は、半年間の事業の後に評価されている。インタヴュー調査された政治家達は、部分的に肯定的な成果を経験した。新たに登場した議会起草委員会における議論は、従前の組織におけるよりも自由であった。政党の枠を超えて合意することが容易となり、政党の活性化がなされた。その他の側面に関しては、市民が基礎自治体のなかで適切な職員探し出すことは容易にはならなかったし、基礎自治体の抱える問題に対する市民の関心が高まることはなかった(ブロールストリョーム、ベック、シヴェルボ、およびスヴェンソン)。

結局のところ、1990年代を通して、議会の役割に関して熱心な議論がなされたといえる。しかしながら、概して、議会の活動形態についてはそれほど大きな改革はなされなかった。小規模な基礎自治体においては、大きなものであった。基礎自治体政治に対する市民の信頼の低下と結びついた経済の悪化においては、民主主義の基本構造にではなく、基礎自治体のそれぞれの装置の規模に照明が当てられた(議論が集中した)。



4.3 基礎自治体における議会制度とは?

いくつかの発展の道筋が考えられる。折々に議論される一つの方向は、さまざまな形態の「基礎自治体における議会制度」である(さらに詳細な議論については、ベック 1998参照)。執行委員会kommunstyrelsenは議会fullmäktigeの積極的なまたは受動的な支持に依存するという見解の他に、明らかに別の意味が有る。より明確な言葉は、多数派が自治体執行委員会(およびその他の委員会)の委員を指名することを意味する「多数支配」ということになる(ヨハンソン 1993)。この理念は、新しいものではないだけでなく、実際に1960年代の半ば以降、定期的に調査委員会および国会において議論されてきた(ギドルンド 1989;ベック 1998)。議長および副議長のポストが多数派に属するという多数派優位の要素が一般的であり、さらに純粋な変形が実施されたことはない。純粋な多数支配とは自治体執行委員会が国会が政府を選出するのと同じような方法で選出されることを意味する。したがって、多数代表制における選挙は、議会における比例選挙を代理することになる。分割は、政治責任が明確にされ、政治的統制が効果的になり、政治における代替策が明確になる、そしてそれによって、より濃密な権力の交代に導くことが可能となる。短所としては、反対派が主張することが難しくなるおそれがあることである。少数政党がそうなることが少なくない(ギドルンド 1989;ヨハンソン 1993)。

基礎自治体における議会制度に対する関心を喚起することについては、先に述べられなかった議論が有る。すなわち、政党にさまざまな政治上の役割を与えることである。その理由は、基礎自治体の複雑な組織の分権化および専門化を維持しているのは実は政党制度であるということである。政党制度の部門間対立の調和機能がなければ、基礎自治体はいくつかの成分に分解してしまうだろう。基礎自治体の議会制度においては、執行委員会は指導と執行の責任を負い、その一方で、議会は代替案を明確にする(ベック 1998)。

スウェーデンの基礎自治体民主主義の理念においては、市民自治と政治の処理能力が共に強調されている。多数支配の導入は、この後者のための選択であるとみなされる。競争民主主義の視点から見ると、多数支配は政党及び個々の政治家を選挙に際して彼ら自身のイメージをはっきりとさせる動機づけるものとなる。参加民主主義の視点から見ると、政治はさまざまなレベル、さまざまな場で形成される。特に、専門化した行政、組織化された利用者団体、地域社会のさまざまな政治団体において。地区委員会または市地区委員会の張り出した制度を有する基礎自治体においては、多数支配の導入は、実は、すぐ近くにある(ギドルンド 1989)。したがって、要約すれば、この方法で民主主義に対する包括的な政治レベルにおける競争民主主義とそれ以下のレベルにおける参加民主主義の二つの取組み方は結び付けられるべきである(比較 ベック、ヨハンソン、およびサンドクィスト 1998)。

政党の弱体化は、実際のところ、議会を活性化するという形態などの伝統的な方法で中断させられる。その代替策は、行政の民主化を試みることである。すなわち、基礎自治体の具体的な事業にさまざまな形態の利用者参加や市民参加を導入することである。多数支配が意味するそのような政治上の正規の権限の中央集権化および集中は、利用者責任や市民陪審団といったようなより参加に則った戦略と結び付けられる。学校教育、保育、そして高齢者介護への完全に張り出した利用者責任、または利用者管理委員会や介護や教育についての民間の組織者らと結びついた行政長官制度を導入することは、デンマークモデルにおいてもまた、これからそんなに離れてはいない。





5 地方自治体における住民投票と住民発議

5.1 誰が地方自治体における住民投票を実施するか?

基礎自治体における住民発議による住民投票に関する問題は、特段新しいものではない。これについては、1950年代の以来、ずっと基礎自治体民主主義調査委員会において議論されてきている。しかし、1990年代のはじめまでも、異議が非常に強く申立てられ、地方自治体における住民投票に関する規定は、地方自治法に取り入れられなかった。1977年地方自治法に関しては、基礎自治体は住民投票、世論調査または同様な手続を通して市民の見解を取り入れることができるということを意味する一定の改正が行われた。1977年地方自治法にも1991年地方自治法にも、地方自治体における住民投票に関して、どのような法規定も採用されていなかった(ビョルクマンおよびリーベルダール 1997)。1990年代のはじめにはこの問題は解明されておらず、地方民主主義審議会は諮問的住民投票を付加することを提案した。そしてこれは1994年の国会で採択された。1994年の半ば以降、議会は、市民の5%以上がこれ(住民発議)を要求する場合には、具体的な問題についての諮問的住民投票を発表する(地方自治法第5章第23条)。

しかしながら、基礎自治体の政治家達は、住民投票の実施に特別には関心を持ってはいない(今日の基礎自治体 no.26, 1996 & no.17, 1998)。1998年の秋までに、およそ40の議会会議で住民投票に対する住民発議が諮られたが、大多数は否決された。ひとつの事例においてのみ、地方自治法が示す住民発議を通して住民投票が実現した。ウッデヴァラ地域における住居または緑地に関する問題であった。住民投票に対する住民発議は、6,000人の署名とキリスト教民主主義党からの議会への提議いう形で出された。

1995年に18の基礎自治体のおよそ1,100人の議会議員が基礎自治体における民主化をどのように促進していくかということについて質問をしたところ、およそ3人に1人がひとつの道は基礎自治体における住民投票であると考えている。政党による違いは顕著である。社会民主党は、他の政党と比べて住民投票に対してより批判的である。しかしながら、典型的な左派と右派の問題は存在しないようにみえる。肯定的であるのは、人民党などの中よりは左派政党の中にかなり多かった。最大の住民投票の支持者は、キリスト教民主主義党と環境党であった(モンティン、オルソンおよびペテルソン 1996)。

全国の基礎自治体の住民発議に批判的な態度に対しては、民主主義の発展のための審議会は、住民発議があったならば、議会の議員の三分の一が住民投票が実現するように賛成票を投じることで十分であるべきであると提案することとなった(SOU 1996:162)。この提案は、肥沃な土壌に落ち着いたわけではなかった。政府は、基礎自治体における住民発議の権利を拡大することはないだろう。この提案は、政府提出法案にまではならなかった。住民投票への貧弱な関心に対するもう一つのリアクションは、40の基礎自治体に構成員を有し、またインターネット上にホームページを有する「住民投票ネットワーク」と呼ばれるネットワークが築かれたことである。

しかしながら、1998年11月には、社会民主党の政府においてさまざまな形態の市民発議に対する態度の変化が進み始めた。フィンランドモデルに則って、市民が議会に提議し政党を経由する必要なしに問題を提起することができるということを意味する法案が作成されるべきである(今日の基礎自治体 no.36, 1998)。



5.2 住民投票の是非 ― 基本的議論

このため、住民発議により基礎自治体における住民投票制度を創設することに対しては、依然として大きな懸念がを示されている。この議論の中においては、次のようなことがらが強調されている。すなわち、代議制度が空洞化される。政治責任を求めることが困難となる。問題が全体から引き抜かれてしまう。保守的な効果を与えることになる。住民投票の問題について適切に明確に述べることを困難にする。退屈で低調な参加となるおそれがある。住民投票が十分に大きな関心を引き起こさず、低い投票率をもたらすことになる。統治に対する信頼を低下させる。対立を生じさせる。妥協は困難となる。そして政党は弱体化する。などである。基礎自治体における住民投票制度を熱心に活用しようとすることについての議論には、とりわけ、次のようなものがある。すなわち、住民意思が直接に引き出される。直接民主主義の要素が民主主義において常に動機づけられる。統治に敏感性を創り出す。選挙運動において基礎自治体の問題に対する大きな関心を創り出す。民主主義が活性化され市民の知識と関与が増大する。政治上の意思決定に大きな正当性を付与する。しっかりと施錠されたところを開け放す安全弁である。そして市民は、政党に属していることに依らずに、個々の問題に対して考え方を決める機会を持つということである(SOU 1975:41;1997:56)。

基礎自治体の政治と民主主義における住民投票の役割に関して二つの基本的な見方がある。第一は、偶然的な意見が代議制民主主義を脅かすということである。住民投票という形態が認められるならば、政治制度の不安定さが生じることとなる。市民は、責任のある政治家および政党が知ることができるようにすべてを知ることができるようには十分に情報提供されておらず、責任感がないと考えられている。住民投票を求めることは、個別の利害を動員することと同じである。もし住民投票が認められるならば、そうした個別の利害があまりに強い効果を持つことになる。

選挙で選ばれた政治家たちは、全体の利害を達成するためにそれぞれにさまざまな個別利害を担っている。政治上のリーダーシップは、既に組織化されている個別利害をむしろ議論している。そしてそれらが何であるか知られている。一部の市民グループがまったく突然に議題に高々と挙げるような優先順位が付けられていない問題に時間は割けられない。政治上の問題処理には、安定性と継続性が求められる。議員および政党は、自分達が任期中に行おうとすること、および次の選挙に関連して求められる責任を市民に示すべきである。住民投票は、政治上の問題処理能力が重要である場合に、妨害要素となる。

第二の見方によれば、住民投票の必要性は、実は、政治家との対話を求める声である。署名する人々は、政治家や政党に、部門ごとの問題が議論されることについて、そして通常の民主的な道筋および過程が十分でないことについて配慮させたいと思っている。意見は、対話の中で変わってくる。市民は、懸命であり責任感も持っている。共通の問題に関わる政治上の対話に参加することは市民としての義務でさえある。住民投票についての要求は、そのような対話のための出発点となるであろう。そのような対話のなかで、さまざまな意見、評価、そして利害の重みが相互に測られる。おそらく最善の解決といったものはない。上首尾に住民投票が実施された場合、それは、賛成と反対のパーセント割合という形での結果であるばかりでなく、部門ごとの問題についてのより一層広範な意思決定に対する根拠でもある。さらに、おそらく、政治家と市民との新しい形の対話が確立されてきた。問題処理能力は、多分、短期的に見れば、難しいものとなるが、その利点としては、政党や議員に対する市民の信頼は増大することになる。これにより、地方自治体における住民発議による住民投票は、代議制民主主義とは対立するものではなく、それを強化するものである。





6 市民陪審団

6.1 市民陪審団の概要

市民参加が、高度に、計画への市民の影響力に関する問題であった1970年代には、さまざまな形態の「市民陪審団」の実験が、特にヴェストトスクランドにおいて、行われた。計画についての市民陪審団の紹介およびこれについての議論においては、問題検討の一つの段階として、それにもかかわらず節度のある合理的な計画思想として打ち出している。すなわち、技術的専門知識と市民の評価と利害による合理的意思決定とを結び付ける働きをしている(レン 他 1993)。その基礎には、中立的な専門知識、利害、そして評価をバラバラのままにしておく古典的な概念(ウェーバーによれば、評価合理性からの手段および戦略の合理性)があるが、対話の中でそれらは擦りあわせられ、統合させられる。

3つのタイプの知識が指摘されるべきである。すなわち、常識と経験に基づく知識、技術的専門知識、および社会的な関心から生ずる知識である。参加する者は、無条件ではなく、彼らの役割はすでに手続化されている提案を活用することになる。正式な意思決定の分析は、評価と関心の複合モデルである多数活動家たちの状況に適用される。市民陪審団は、この点で、意思決定過程の一段階であり、地域の問題や抗議に対する無条件の対話ではない。これらの制約を前提として、市民陪審団がどのように機能しうるかについて何らかの考えを示す価値がある。

陪審団は、20~25人の不作為に選出された直接または間接に「関係のある」市民からなる。この陪審団は、意思決定およびその他明白な利害についての評価顧問(掛け金の保管人)である。組織化された利害の代表者、専門家、および政治家は、参加者としてではなく、オブザーバーとして出席する。陪審団の役割は、個人的な評価および利害の観点から既に示されている問題処理策および提案を評価することである。陪審団は、何日間か継続して活動し、その期間中に、ビデオフィルムの利用や「聞き取り」、説明、訪問調査、資料の読み込みなどにより、さまざまな方策および見方について賢くなる機会を持つことができることである。参加者たちは、失うこととなった労働収入について代償を受けることができる。市民陪審団の活動の成果は、進行中の意思決定過程のしっかりとした基礎となる(レン 他 1993)。

市民陪審団は、かってはデンマークでも活用されていた。スンデヴェド市では、1997年においては、18人の不作為で選ばれた住民が市民陪審団に招かれていた(今日の基礎自治体 no.21, 1997)。陪審団は、何ら意思決定の権限を有せず、その目的は、基礎自治体における諮問機関を形成するものとなっている。スンデヴェド市は、市民の支持を捉えるためにこの方法を活用しているデンマークの最初の基礎自治体である。したがって、市民陪審団の制度は、スカンジナビアではかなり新しく、例外的であるが、USAや中央ヨーロッパでは、特別な提案をする役割をもって、将来についての無条件の議論の場として長らく実施されてきている(マックラヴァティー 1998)。

スウェーデンにおいては、市民陪審団に対する関心は大きくなってきているが、多分、最初は身体計画に関連してではない。一つの事例においては、より一層無条件な市民陪審団の変形が実施されていた。すなわち、簡潔に説明するウップランド・ヴェスビーにおける事例である。



6.2 具体的事例:ウップランド・ヴェスビー市

ストックホルムの郊外の市であるウップランド・ヴェスビーにおいては、1997年の秋に、二つの市民陪審団が実施された注4。それらの目的は、基礎自治体の市民と政治家との出会いの場を形づくるということであった。この出会いは、基礎自治体は何をなすべきか、影響力の行使とその形態、情報の提供と意思疎通、部門ごとの問題および事業にかかる問題、ならびにその他問題とみなされることがらについての議論の場を意味する。つまり、この目的は、陪審団に意思決定を委任するということではなく、またあらかじめ特別な部門ごとの問題について議論するということでもない。



注4 ここにおける説明は、市民陪審団の会議についての文書および私的な出席経験に基づく。



1997年の秋に2度にわたり1,000人の不作為に選出された基礎自治体住民に招待状が出された。第一回目には、46人が申し出て、そのうち29人が選ばれた。このうち、51歳以上の者は55%であった。選ばれなかった者のほとんどは15~30歳の者であった。第二回目には、74人が申し出て、そのうち52人が選ばれた。再び51歳以上の者が大多数であった。つまり、1,000人に対する招待状のうち、81人の参加者という結果であった(8%の参加率またはその意思のある者:92%の拒否率)。

後に、市は、陪審団について出された議論の集約を行った。住民発議については、「画期的である」として、また「…スウェーデンの状況にとってはユニークな出来事である」として述べられている。陪審団について出された考え方や態度についてはあまり説明されていない。

陪審団の参加者の多くは、政治上の契約と参加し影響力を行使する意思を表明していたが、政党の外でこれを行いたいとしていた。政党は、意思疎通とか影響力の行使のための道筋というよりは、むしろ避難場所と考えられていた。さらに、政党政治にではなく、具体的問題に焦点が当てられることが望まれていた。政党と結びつくことなく政治的に活発に活動することができることについても質されている。

直接民主主義に対する態度は肯定的である。とりわけ、市民には議会への提議権が与えられ、執行委員会に対しては直接提案を書き綴ることができるべきであることが提案された。市民陪審団はまた、重要な問題が取上げられる良い具合の補完物であるとも考えられている。さらに、それぞれの委員会の利害団体または関係団体が、政党に関わりを持っていない市民が現実の問題や理念について議論することができるところとして言及されている。パックで出来上がっているものに出席させられることに対しては強い批判が向けられた。参加は、意思決定前の適切な時期になされるべきである。

さらに、市民が現実の疑問や問題について政治家と理念を随時意見交換することができる団体がないことである。事業に対応する市民陪審団の提案があった。政治家とのコンタクトを確立することの難しさに関する

何らかの役割を演ずるといったような方法でそれぞれにその声を聞かせる

情報提供や意思疎通に関しては、基礎自治体が情報を市民に広めるその方法に対して批判が向けられた。例えば、不完全な情報に基づく陪審団への参加者数の低下は知られているのだろうか? 最終的に、(良いものであると考えられている)市民陪審団への住民発議が砂の中に漏れていってしまうことになる。

市民陪審団の参加者に送付された基礎自治体からの公文書には、後に次のように提案された。すなわち、市民陪審団またはそれに類するものは1年おきに開催されること、その会議はさまざまな問題点が議論される地区において組織される。市民の一般的な提案権が導入されること、基礎自治体のさまざまな側面に関する認識の過程は研究会及びそれに類するものを通して始められること、ならびに利用者管理委員会がいくつか当該基礎自治体に設置されることである。

市民陪審団は、興味ある現象である。これは、政党が新しい構成員を募集することそして市民を動員することが極めて困難であることに関連している。このような有権者と議員との会議の形態は、地方における住民自治の理念と、実は、かなり実質的に矛盾する。招かれた人々は、何らかの確立している民主的制度またはいずれかの組織によって募集されて任命されるものではなかったと推定される。このようなタイプの試みに対する躊躇は、政治過程において見解や評価を集めることや選挙に際して投票しなかった人々もまた招かれたことは、広く行われている方法を中断させるので、理解しうる。しかし、もし、確立している民主的諸制度および所組織が地方政治における議論に市民を積極的に協力させることに成功するならば、市民陪審団は建設的な補完物であるとみなされるだろう。





7 選択の自由と民主主義

これまで説明された民主主義の経験においては、個人主義指向の要素も顕著であるが、民主主義についての集団的な考え方指向の取組み方がもっとも顕著である。より一層純粋な個人主義指向の民主主義の実験を新たに例示する。すべての民主主義の実験は完全に集団的な出来事であるとみなされるが、若干の基礎自治体においては、民主主義活動における顧客としての市民に対するねらいは顕著なものとなっている。「顧客市民」の選択の自由およびそれぞれのサービス提供者間の競争は、サービス民主主義と結びついた消費者の視点の延長である。この論点が-少なくとも1990年代のはじめには- 社会民主党(サービス民主主義を優先する)と保守党/人民党(選択の自由および競争を優先する)との間の議論を思想のうえで特徴づけていたと思われる。しかしながら、1990年代の終わりに向けては、人々は、共通の基盤に立つようになってきた。1998年の総選挙においては、この問題は、基本的には留意されなかったし、基礎自治体事業への競争の導入に原則的に反対であるのは左翼政党のみであったと思われる(今日の基礎自治体 no.26, 1998)。

民主主義諮問委員会の1987年から1997年までの市民調査は、「選択の自由革命」が貫かれたことを示している(ペテルソン等 1998)。幼児の両親、学童の両親、そしてケアの対象者もいずれもケア施設または教師を比較して保育園や学校を替える適切な権利を有することに責任を負っている。とりわけ、幼児の両親および学童の両親は、ともに現状の枠内で変更を求めることによるよりも、保育園または学校を替えることにより影響を及ぼすことが容易であると考えられている。さもなくば実際に施設を替える(転出)という脅迫による影響力の行使は、施設への利用者参加を集約的に集めること(声)よりもより一層効果的である。

このため、個人または顧客対応民主主義の発展が明白な効果を有すると言えよう。この方向性にある民主化活動を一層詳細な知見を得るために、私たちは、1990年代にそのような意図が顕著であった基礎自治体、すなわちナッカ市にアプローチした。



7.1 ナッカ市における選択の自由

ナッカ市においては、「市民の参加と選択の自由」が強調されている。この基礎自治体は、全国で最初に目標による統制を導入した基礎自治体あり、「外部顧客選択による統制」、「内部顧客選択による統制」、および政治統制によりこれを成功裏に補完してきた注5。他の基礎自治体におけるより集団的な考え方に即応した利用者参加に対する代替策としてみなされる。いくつかの分野においては、サービス小切手制度が導入されていた。すなわち、保育小切手(1994)、学校教育小切手(1994)、家庭サービス小切手(1992)、付き添い・荷物持ちにかかわる小切手制度(1997)がそうである。このような制度により、家事は、「事業の変更をもたらすため政治上の制度を迂回する」必要がない。サービス小切手の制度は、介護または教育を必要とする人々に対して「基礎自治体が購入力を移転する」ことを意味する。選択の自由および競争は、基礎自治体の全事業にとっての指針である。公権力の行使ではないすべての公共サービスは、基礎自治体および民間の供給体が同じ条件で競争する入札で取り扱われる。



注5 ここでの記述は、主に次のホームページのナッカ市のお知らせから引用されている。

http//www.nacka.se



保育小切手は、さまざまな保育の形態に適用されるレートを含んでおり、幼児の年齢や希望の預かり時間に配慮している。したがって、この小切手は、全保育費用には及ばないが、平均して、おおよそその費用の30%になる。基礎自治体は、残りのおよそ70%の費用を補填する。小切手のレートの計算書は、毎月一回、両親に送られる。保育手数料についてはしばしば毎月一回支払われているので、この点では他の基礎自治体と比べてそれほど大きくは異なっていない。特別な違いは、この小切手は何ら基礎自治体内の特別な「組織」にも基礎自治体の境界にも束縛されていない。組織は保育委員会によって承認され、年毎に一覧表に搭載される。学校教育に関しては、初等教育が無料であるので、金銭はしるしとしての支払にすぎない。

しかしながら、原則は、保育と同様である。基礎自治体立および私立の学校は、毎年、両親がその中から学校を選ぶことができる一覧表に搭載される。学校教育小切手に関してしばしば議論される問題は、特別な援助が必要な生徒についてである。これは、校費外の「公平性の保証」により解決された。このための特別な財源の規模は、校長と基礎自治体指導部との間の話し合いで確定された。ホームサービス小切手の制度は、介護を受ける者は基礎自治体のホームサービスと民間のホームサービスとの間で選ぶことができること、そして介護の提供者は同じ条件で競争することを意味する。民間の介護提供者は基礎自治体執行委員会により認可されるが、委託契約者としては扱われない。したがって、この制度は、基礎自治体が、介護を受ける者に対してそのサービスを提供する民間の介護提供者を購入する他の先行事例とは異なる。後者の例においては、ホームサービスの顧客の選択の機会が明らかにより一層限られている。エスコートおよび搬送は、援助およびサービスに関する法律(LSS)ならびに社会サービス法(SOL)に基づくサービスである。それらは、若い機能障害者および障害のある児童の両親に向けられる労力に関わるものである。小切手の価値は、高齢者および障害者社会サービス部門の上級公務員の調査によるところの、必要とされる労力に対応する。



7.2 効果に不安?

現在の枠内で影響を及ぼすよりはいずれか他の組織を選ぶことにより影響力を行使するほうが容易であると多数の市民が考えているという意味において、選択の自由改革が強力に効果を挙げた民主主義諮問委員会の結論により、ナッカ市民が顧客選択制度に深く満足していることを期待することができる。しかしながら、基礎自治体自体の評価は、この方向においては決してあいまいな姿のものではなかった。1998年1月、デモショップ株式会社は、ナッカ市の責任において、住民の態度調査を行った注6。そのうちのほぼ半数(44%)が選択の自由が近年増大したことを承知していなかった。26%の者のみがそれが自分たちの経験と完全にまたは部分的によく合致していると考えていた。おおよそ三分の一(38%)は、「私は、市民として、基礎自治体事業に影響を及ぼすことができる。」と主張し、合致していない(完全にまたは部分的に)。これら二つの質問に対する回答分布のわずかな違いは、おそらく、それは、第一義的には市民が基礎自治体事業に影響を及ぼす顧客選択モデルによるものではないということを暗示している。選択の自由が増大したと考えたというよりも顧客が影響を及ぼしていると考える者ほうが多かった。影響を及ぼす第二の方法がさらに重要であると思われる。顧客選択モデルは、何ら目立った効果を挙げていない。

しかし、基礎自治体事業に対する満足は、かなり高いと思われる。およそ四分の三が完全にまたは部分的に「基礎自治体サービスは私の需要に対応している。」、および「基礎自治体サービスは十分である。」と考えている。さらに、保育や学校教育の質に満足であるとする主張に完全にまたは部分的に同意する者が60ないし64%であった。



注6 年齢15~89歳の住民、総数751人に聞き取り調査がなされた。整理分析については資料としては何も説明されていない。(ラーソン および モディッグ 1998)。



サービスに満足しているが参加の機会に不満足である、そして顧客選択モデルの登場についてかなり承知しているというのが全体的な結論であった。アンケート調査回答書に対する基礎自治体執行委員会事務所の論評においてもまた、選択の自由が増大したと考える者は「人騒がせな少数者」であること、そしてナッカ住民nackabornaは基礎自治体事業に影響を及ぼす機会に満足していないと言われている。

上記に参考とされたような調査は、慎重に解釈されるべきである。少なくとも、回答の頻度が報告されていないという事実、あるいはその整理が議論されなかったという事実は、熟考を要する。唯一確実に言えることは、選択の自由改革がすべてに行き渡っているわけでもないということである。

しかしながら、これは、単に、個人主義を指向した民主主義の実験ではなく、集団的な考え方を指向したものでもない。ナッカ市は、「バランスのとれた民主主義demokratibokslut」注7と称する実験プロジェクトに他の二つの基礎自治体と一つの県と協力し合っている。このプロジェクトは、個人主義的取組み方および集団的な考え方的取組み方を含むさまざまな民主主義の指標により活動することになる。これにより、ナッカ市は、選択の自由の方向を打ち出したいくつかの他の基礎自治体、例えば、ソレンチューナ、テビー、ダンデルードとともに、個人主義的・集団的な基礎自治体民主主義の刷新についてそれらを結合するといわれている。次の章においては、私たちは、際立って集団的な民主主義の実験、すなわち集団的な考え方的利用者参加および利用者責任への信任をみることとする。



注7 このプロジェクトは1998年秋に開始され、ゲヴレ市、ナッカ市、エーレブロー市、ヴェルムランドの県、テーマ民主主義(スウェーデン基礎自治体連合、県連合)、およびヌーヴェマス、エーレブロー市高等教育を含む。



8 集団的な利用者参加

利用者とは、「基礎自治体事業に密接かつ個人的に関わり、定期的に比較的長期間継続的にそれを利用している人」である(prop.1986/87:91,s.13)。この「利用者brukare」という言葉の概念は、実は、用語概念1980には存在しない。これは、デンマークの1970年代終わりの基礎自治体民主主義審議会の「利用者bruger」から借用されたものである。

利用者をサービスの提供に参加させることは、さまざまな動機により生ずる。第一には、社会サービスや教育の提供は、しばしば、消費と同時に、「提供」と「消費」との協働のなかで生じる。そこで、「サービスの提供」とサービスの質とは、これら両者の関係に関わる。このため、職員と個人としてまたは組織された形態における顧客、利用者等との間の協力と信頼関係の必要性は大きい。

第二には、基礎自治体職員だけでサービスを提供する場合よりも費用が少なくなるであろうということである。両親がさまざまな形で保育園または学校の運営に協力するならば、費用を削減しうるであろう。第三の動機は、正当性の追求である。基礎自治体のサービス施設に対する信頼が不完全であるならば、その事業の指導部への利用者の参加は、基礎自治体事業に対する信頼を増す一つの方法となりうるだろう。第四に、利用者には事業に影響力を及ぼしたいとする要望があるとする民主主義についての主張があることである。そのように表現された要望がなかったとしても、民主主義の観点から、事業および財源に対する集産的な責任に利用者を参加させることは非常に重要である。民主的な学校教育は、この議論において強調されている一つの価値である(モーレル 1996)。一定の期間に「利用者参加brukarmedverkan, brukarinflytande」として導入されたものは、とりわけ1980年代半ば以降は、基礎自治体行政の正当性を増大し、参加を拡大し、費用を削減する方法であるとみなされている。



8.1 集団的な利用者参加のさまざま形態

利用者参加を組織化するためには多くの方法がある。内容を形で統制させる、すなわち、特別な問題などに対する参加について組織化がなされうる。しかし、制度上の解決を完結するためには、地方自治法および学校教育法にも行き着く。地方自治法においては、いわゆる条件付き委任ができることが示されている:

委員会が … ある職員に委員会に代わって決定することを委任する場合、委員会は、委員会のサービスを利用する人々には、決定がなされる前に、提案また意見を述べる機会が与えられるとする内容の条件を付けることができる(地方自治法第6章第38条)。



委員会は、事業を所管する公務員を決定がなされる前に利用者相談などにより相談する役割に付けることができる。地方自治法により、委員会は、これを条件とすることができる。これはまた、職員は、「委員会のサービスを利用する人々の代表がその決定を支持する場合にのみ、」決定することができると規定するものでもある(地方自治法第6章第38条)。後者は、利用者相談が拒否権であることを意味する。

条件付き委任は、一致原則であるとみなされている。すなわち、利用者統制ではなく、所管の公務員が所管の委員会に案件を持ち込むことに同意する場合である。条件付き委任は、多かれ少なかれ、およそ50の基礎自治体において基礎自治体施設で活用されている。新しい実験立法は、選ばれた数の基礎自治体に、利用者(両親)が多数を占める学校教育執行委員会を設置する権利を与えている(SFS 1996:205)。1998年の半ばには、このタイプの両親執行委員会を導入していた小学校はおよそ120である。この実験事業はかなり新しいものであり、学校に関しては多くの方途が期待される。

これとは別に、利用者自治の形態、条件付き委任が付与しているよりもより長期的な委任を意味する、いわゆる自主管理組織が有る:



法律またはその他の法令によるものがないならば、議会は、委員会が委員会の下の自主管理組織に、一定の事業または一定の施設の全部または一部の運営を行わせることについて委任することを決定することができる。(地方自治法第7章第18条)



自主管理組織は、事業または施設の利用者の代表および従事している職員の代表で構成されることとなっている。このうちの第一の範ちゅうが過半数とされている。このタイプの利用者責任は、特定の事業または施設だけに及ぶもので、地域内のすべての事業に及ぶものではない。概算では、自主管理組織は、およそ30の基礎自治体で登場している。



8.1.1 地域執行委員会

特定の地方では、責任範囲が学校から地域に拡大されたという意味で利用者統制の拡大形態が形づくられている。そのような変化系は、しばしば、「地域執行委員会」と呼ばれる。そうしたものは、いまだにそれほど多くはない。エーレブルー市においては、小学校についての行政委員会が条件付き委任による地域執行委員会となることとなった。この地域執行委員会は、5人の利用者代表と2人の公務員で構成されている。地区委員会は、学校教育とか保育などのさまざまな事業に配分する資金を地域執行委員会に分配する。そのうえさらに、この地域執行委員会は、交通問題、計画に関する問題、環境問題についての提案権を持っている。利用者代表は、現在ある団体および地域における関係を前提とする候補者指名委員会により(候補者として)指名される(ヘクトール,Ekおよびヘッグルンド 1998)。議会が委員を指名する。

エスキルスチューナ市においては、一種の従前の地区委員会の代替としての、同様な形態のものが計画されている。4つの地域が現在ある。これらの4つの地域において、すでにそれぞれの組織がある。ある事例においては、特に、借主、家主、政党および教会が代表となっている地域的な協働グループとなっている。別の地域では、地域執行委員会に発展させられた団体の諮問委員会がある(エスキルスチューナ市 1998)。

オーレ市においては、一歩が踏み出された。議会によって指名された半数の委員と直接選挙による半数の委員とからなる地域執行委員会が設置されている。オーレ市における実験については、第9章第3節にもう少し詳細に述べられている。

若干の事例においては、地域執行委員会は、利用者代表が拒否権を持っているという条件である委任に関して公務員が決定する、一種の似非地区委員会である。別の事例では、一定の委員が直接選挙によって指名されることにより、地域執行委員会は、その地域社会にとって似非地区委員会にはなっていない。いずれにしても、地域執行委員会は、その性格として、共通の関心事が施設以上に含まれているので、利用者統制というよりも非常に「政治的」になっている。この委員会の委員は、単に両親を代表するばかりでなく、より広い意味で住民boendeを代表する。そこで、この委員会は、利用者統制というよりはむしろ地域社会のための委員会であると言えよう。



8.2 利用者参加への取組みと問題

利用者参加に関する議論においてしばしば生ずる問題が少なくとも3つある。その第一は、それは実際に参加なのか否かについて、そして参加は責任を含むのかまた含むべきなのかということに関するものである。第二は、利用者代表の代表性および地域社会との絆に関わるものであり、そして第三は、利用者代表の権限と代表性民主主義との関係に関するものである。

利用者参加は、集団的な参加に関わるものである。さまざまな要因が利用者の基礎自治体事業への実際の参加を決定する。概観的には、利用者自身の資源および利用者が影響力を行使する施設または事業の品質について述べられている(ホッフ 1993,s.75-80)。利用者の品質は、教育であり、社会的ネットワークであり、「正当な」コンタクトである。施設の品質とは、職員及びその指導力、文化、公式・非公式の基準の設定である。

これと関連して、私たちは、協力medverkanと参画inflytandeとは区別すべきである。計画過程や住民boendeの参画などの民主化に関する調査は、参加deltagandeは自動的に参画inflytandeをもたらすものではないことを示している。政党間に明瞭な対立を生じさせる事例においては、利用者側からの非常に説得力のある主張以外に十分なものはない。実際には、適用されるのは、適切な主張以外の別の権威である。明瞭な対立が見られない事例においても、権威のあまりない参加者にとっては、彼らの利害を満たすために動員し、圧力をかけることが必要である(ミレル 1988;ガヴェンタ 1987)。したがって、学校教育などにおいて利用者代表として協力することは、事業の目的や内容に参画することとは同じではない。

もう一つの重要な問題は、参画の内容はなにかということである。両親および生徒が何に参画すべきかということに関して利用者、職員、そして政治家の間で意見が分かれていることがある。事業の包括的な計画と評価であるのか、あるいは事業のより一層具体的な内容であるのか? こうしたことは、少なくとも何年か前には、ほとんど問題ではなかった(モンティン 1993b, s.137f,リボム 1993,s.153)。利用者の参画と利用者責任とが、地方学校教育委員会または条件付き委任などの一定の形態に速やかに制度化されるべきであるといったことは自明のことではない。もう一つ理基本的な点は、まず最初にどのような活動と機能が参画に入るか定義することである。これは、学校教育の目標と概要及びその事業の評価について示すこととなる。こうした機能が十分に定義されるならば、すなわち内容が示されるならば、そのとき、参画/責任がどのように組織化されるべきか考えるべきである。利用者の参画は、さまざまな方法で、一般的な利害を代償に個別利害を強化することになる。これは、市民の間で、また代議制民主主義との関係で当てはまる。学校教育委員会は、教師および学校指導部との連携で、そうでない場合以上に学校により多くの財源をもたらすような政治的な能力を発揮することができる。しかし、これはまた、利用者参画に加わることにより自分たちの政治的な参画を強化するということが既存の予備的強化であるということになる(ヒンフォルス および オスカルソン 1995)。利用者委員会およびこれに類するものへの社会的な選出は、学校その他の施設における利用者参画の導入に対する主張としてしばしば述べられている。

集団的な利用者の権威は、普遍性を代償として特定の視点をより一層強化する。すなわち、特別利害の動員が一般利害を脅かすことになる。この意味において、利用者の権威は、選択の自由改革がそうであったと同様に社会における個人主義に光を当てると主張されうる。個人や小集団の権威は、誰もが自分自身のためにという制度的なエゴイズムに導く。

利用者参画は、小さな民主主義のレベルにおいてであり、重要な問題は、小さな民主主義と大きな民主主義との間の関係である。大きな民主主義と小さな民主主義との間の「役割分担」の徹底となるのか、あるいは学校教育についての利用者参画を完全なものへと推進するのであろうか? 制度化された利用者参画は、政治上の市民主体を推進することになる。利用者が小さな政策の権限庁maktboningarに入るということは、権限を行使し、責任を負う(「権限付与」という言葉の通常の概念の解釈)ことになる。これは、さもなければ多数の目には抽象的な出来事である政策の具体化を示している。児童や住宅の分野の取扱いに関しては、政策が具体的になり目に見えるものとなる。真の参画は、民主主義の学習となる。利用者参画は、主として、限られた事業に参画することであるとしても ― 利用者は、市民medborgareというよりも、むしろ、部分市民partsborgare ―、社会資本をまたそれによって民主主義を効果的に強化するものとなる。あるいは、トミー・モレルは、このことについて、次のように表現している。

例えば、保育園の執行委員会がさまざまな決定に際して考慮しなければならないことは、以前の住民運動の枠内で一度生じたのとまったく同様な民主主義における訓練である。(モレル 1996, s.392)

しかしながら、利用者/両親という限定された集団における社会資本と基礎自治体における代議制民主主義とのそのような結びつきは、自明のことではない。

別の取組み方は、利用者として参加する者は、自分の子供のため、そしてまた多分他人の子供のためであるということであり、直接自分たちの施設に降りかかってくることを以外は、多かれ少なかれ大きな民主主義において生じていることに無関心である。専念しているものは身近なものであり、日常影響を受けるものである。大きな民主主義や政策における政党、政治家等に対する関係はいかがわしいものとみなされる。完全性は活動的な利用者としての人物が関わるものでなく、政党は人材を呼び戻すには十分ではない。

別の重要な観点は、利用者委員会の代表がどのようにして指名されるべきかということについての法規定が欠落ということである。基礎自治体の委員会に関しては、しっかりと定着した法規定がある。共同行為として政党が指名し議会が決定する。地方における学校教育委員会またはそれに類するものに関しては、総会の代表をとかクラス会における両親の代表を選出するためなどについてさまざまな変形が見られる。一つの危険は、多数のなかから代表を指名することについては、それがどのように行われるべきかに関する一般的包括的な規定がなにもないので、「非民主的」であるとみなされることである。一定の事例においては、その分野について現存する団体から選挙委員会が指名されることとなっている。その場合に、「代表性の連鎖」、すなわち、それらの団体の指導部がどれだけしっかり定着し代表しているかがさらに問題となってくる。最悪事例では、代表とその他の両親および住民との間の信頼感の亀裂あるいは無関心を生ずる。そこでは、基礎自治体の施設と市民との間の亀裂は姿を消し去ってしまうのではく、同じレベルのうえで移動させられるだけである。

適用されるべき規定はどのようなものか、最も民主的であるのは何かについて議論することは重要である。それぞれの意見がどのように扱われるべきか、つまり一致の原則は多数原則よりも民主的であるか? 委員はどのようにして選ばれるべきか、団体が代表を選ぶことによるのか、それとも直接選挙によるのか? 最も民主的であると考えられるところのものは変動する。長期的には、おそらく代表性の問題はなくなっていく。大多数によって適用されるモデルが最初は非民主的であると受け留められるとしても、例えばその他の両親からはその利用者委員会が良いものと考えられるような結果をもたらしている場合には、そうした批判が後にはなくなっていくこともある。



8.3 いくつかの経験

学校教育分野における利用者委員会についてのモデルと批判的な経験的分析求めて世界中を見渡すと、デンマークがもっとも適切な目的地であると思われる。ここでは、1989年と1990年の小学校と中学校への義務的な「学校管理委員会」が導入されている。したがって、デンマークの学校教育における利用者委員会は、既に導入されている事例があるとはいえ、そんなに長い歴史があるわけではない。このため、デンマークの利用者委員会に関する知識は、ほとんどが短期間の経験に基づくものである(フローリスおよびビッドステッド 1998,s.25)。

デンマークの利用者委員会に関する全国的で広範な調査研究においては、一般的に、利用者は積極的であり、彼らは、概して、一般市民におけるよりも政治的影響力行使の機会がより大きいことを理解していることを示している(ホッフ 1993)。スウェーデンと比較して、デンマークの利用者の多くは、スウェーデンの利用者よりも率先してさまざまな状況に影響力を及ぼそうとすることを示している。このことは、正規に組織化された利用者参画は、事業への利用者の参画に関しておよび政治活動一般に関しての両方にとって重要であることを示している(ホッフ 1993)。このようなことから、利用者参画が必然的に代議制民主主義に対する脅威になるということではない(モレル 1996参照)。

デンマークにおける利用者委員会についての事例研究は、さらに、利用者参画の正規化は、利用者と政治家との間の接触をより密にするとか、あるいは一層内容が充実するとかということはないということを示している。利用者委員会および政治上の機関は、かなり相互に依存している。留意される問題は、政治家がその権限を移すことは困難であるということである。利用者が決定的な影響力を得た場においては、それは、協力と取引きによるというよりもむしろ衝突と圧力による結果であった(セヘステド 1995)。しかしながら、その後の調査研究によれば、利用者委員会と基礎自治体の政治的リーダーシップとの間の関係は、肯定的な形に発展していくことが示されている。例えば、手短に言えば、基礎自治体指導部は、とりわけ両親代表が最も正当性のある学校代表であるとして受け留められている学校委員会と予算交渉をすることを意味する「対話型予算」の出現である(フローリスおよびビッドステッド 1998)。

デンマークの学校における利用者委員会についての若干の調査研究は、事業における専門家の立場が両親の参画にとって決定的な要因となること、およびそれがしばしば両親の参画の障害となることを指摘している(ソレンセン 1995;セヘステドおよびソレンセン 1996)。また、その後の調査は、両親がしばしば障害を理解していないこと、そして専門職(教師および学校指導部)が両親の見解にますます一層敏感になったことを示していた。専門職と「素人」との間の話し合いが進むことにより、信頼に満ちた関係が築かれる(フローリスおよびビッドステド 1998)。

利用者代表の代表性についての研究は少ない。若干の研究がデンマークにおいて実施されているが、デンマークの利用者委員会の代表は、概して、全住民を社会的に代表してはいないことを示している。しかしながら、偏りはそんなに劇的なものではないと思われる。高等教育を受けた職員が3から12%過剰に代表されている(ホッフ 1993)。I en oversikt fran Indenrigsministeriet 利用者委員会における代表の教育水準が、しばしば、利用者全体よりも高いことを示しており、また少数派の利害が利用者委員会においては窮境に陥ることを指摘している。しかしながら、大臣は、利用者委員会の構成利用者の構成とが完全に一致しないとしても、一般的には、何ら大きな問題を含まないことを必要とするということも指摘している。基礎自治体の委員会およびその他の基礎自治体の政治上の機関は、決して十分にはその社会の市民の構成を代表してはいない。しかし、代表たちは、さまざまな代表されない利害に配慮する必要がある。保育(保育園)についての利用者委員会に関する調査は、両親の三分の2はその代表および委員会の活動に満足していることを示している。最後の三分の一は態度を示していない。ごくわずかの者が委員会に不満足としていた(Indenrigsministeriet 1998)。

スウェーデンにおいては、いくつかの基礎自治体において小学校に利用者参画が導入されている。事例研究によれば、組織された利用者参画に協力することへの両親の関心はかなり強いことが指摘されている。しかし、大多数は、学校の財政や発展に責任を取ることにも躊躇している。この形態での両親および生徒の参画関して教師の間に共感する意見がある。一部はその専門的な活動を脅かすことを意味する。その他は肯定的であり、両親は脅威というよりは資源としてみなしている。若干の事例研究で得られた顕著な結果は、継続的な話し合いが変化の力となったということである。利用者と職員の間の当初の対立と緊張は、両親と職員との間の対話が継続することにより、より一層肯定的な方向へと転換されている(ぺルソン 1996,モンティン red 1998)。

小学校における自主管理および学校委員会に関する1996年からのエーレブロー市の内部評価は、原則的に、両親が先ず参画すべきだということに関して、教師と両親との間でかなりしっかりとした合意があることを示していた。それらは、学校学校の目標と概要に関する決定、および学校活動についての評価であった。しかし、それら以外については、意見は部分毎に別々であった。教師は、両親よりも狭い範囲で、両親に学校の歳出に影響力を行使させる傾向があった。



8.4 これらについての印象と議論の総括

基礎自治体の事業は、近年における時の経過の中で、専門性を高めてきている。学校教育の分野においても少なからずがそうである。両親多数(小学校)または生徒多数(中学校)の利用者委員会を推し進めていくことは、こうした専門の高まりとさまざまな形で衝突する。したがって、教師と学校指導部が若干の躊躇を持ってこうしたタイプの民主化の実験を取上げるということは、決して特異なことではない。利用者参画に対して腕を広げて対することが、その人がそのような政治的統制に不満であるかどうかは、自明ではない。利用者参画は、さらに重みを増していくものと考えられている。

デンマークの経験は、集団的な利用者参画が学校とその活動を強化するように発展させられてきたと指摘している。しかし、スウェーデンと比較することは、まったく適当ではない。その他に、この両国の制度の沿革の違いが大きい。デンマークにおいては、利用者参画は、決して代議制民主主義に対する大きな脅威であるとは考えられていない。ある観察者によれば、スウェーデンにおけるよりもデンマークにおいて、「市民社会」との関係でより柔軟である伝統がある(アービッドソン、ベルントソンおよびデンシック 1994)。デンマークは、保育、高齢者介護、および学校教育の利用者の集団的な参画に首尾一貫してかつ継続的に投資してきている(リンドボム 1995)。デンマークにおいてもまた、どのような参画であるべきかという点において教師と利用者との間で緊張があり、また利用者団体における継続的な話し合いがそうした緊張を減らすことができるということがある。対話は、信頼に満ちた関係を育て豊かなものとする。したがって、施設(小さな民主主義)レベルに関しては、市民意識が発達するが、このレベルと全体との関係はどのように発達するのであろうか?

集団的な利用者参画と利用者の権利を伴った制度が分裂と制度化された利己主義になってしまわないために、機能民主主義と地域民主主義との間の連携を必要としている(ソレンセン 1998)。そのような必要性は、民主主義の理論から派生する。さまざまなレベルの違うものが個別性と普遍性のバランスを取るべく一つにまとめられなければならない(ダール 1982)。このような結論は、代議制民主主義の諸制度(政党、議会、委員会)は、おそらく、そのような連携を創り出すために、例えば、窓口政治家あるいは分野別議会小委員会などの形で、それ自身の組織を刷新する必要があるということを意味する。このことは、地区委員会を設けている基礎自治体が、その他の基礎自治体以上に、小さな民主主義と大きな民主主義との間を結び付ける条件を改善していくことを意味する。地区委員会の代わりに、あるいは議員の数を削減することの代替として利用者委員会または地域委員会を導入するということは、このような考え方からすれば論理的には思えない。利用者民主主義の制度においては、地域民主主義の包括的な視点を代表する少ない議員というよりもむしろより多くの議員が必要とされる。

私たちは、最終章で大きな民主主義と小さな民主主義との間の問題について再度論じることとしている。この議論のためにさらに基本を固める必要がある。このため、私たちは、別の民主主義の実験について検討する。








9 地域社会の組織化

地域動員のさまざまな形態に対する関心が、とりわけ、過疎地域およびその他の都市化されていない地域において増大している。地域における発展途上グループ、発展途上グループ、公的団体および企業といった、さまざまな名称のそのような地域グループがある(ヘルリッツ 1998)。若干は、さまざまな不満足な状態に対する地方に反発から生じたものであるが、その他は、多かれ少なかれ「上」からの発議のもとに生じたものである。1980年代の終わりに際して、ヨーロッパ評議会が発議した地方キャンペーンである「地方-90」と呼ばれるキャンペーンが行われた。このキャンペーンは、社会民主党の産業大臣の指導の下にその当時の過疎地派遣団によって行われた。ふるさと運動もまた、指針に中央党の一側面を取り込んだ住民運動審議会によって組織化された「活力ある地方と文化のために」と称するキャンペーンを始めていた。これら二つのキャンペーンは、「全スウェーデンを活性化させる」という標語の下に協働し、全国からの650人の委員による1989年地方国会において終焉させられた(ヘルリッツ 1998)。

地方国会の成果は、全国的組織が創設されたことであった。すなわち、全スウェーデン住民運動諮問委員会が生き残ることとなった。この組織の役割は、地方のさまざまな形態の開発集団を支援することであった。ほぼ同時期に「90年代における地方政治 90-talets byapolitik」と呼ばれることとなる一つのプロジェクトが創設され、新規に設置された過疎地域局Glesbygdmyndigheten、同様に新設された住民運動諮問委員会、スウェーデン基礎自治体連合、および関係するレーン執行委員会の支援を受けた。このプロジェクトには、およそ15の基礎自治体が関わっており、その目的は、地方レベルにおける地域に対する影響力を強化し、地域の発展力を築いていく基礎自治体の戦略的計画を発展させることにある(オルソン および フォルスベルグ 1997)。

スウェーデンにおける「地方主義」は、1980年代の終わりに始まった住民運動に当たるものをその始まりとみなされる一つの運動に発展してきた。この点に関しては、全スウェーデン住民運動諮問委員会は、理念(地域における参加と参画といったような基本的な価値に関しての公式的な主張)と使命(それぞれの当事者をその立場から活動するように刺激する)、そして相談(相談および援助)といった役割を活性化すべきである(オルソン および フォルスベルグ 1997)。プロジェクト「90年代における地方政治」に加わった基礎自治体は、さまざまな形で支援を得て、特定の事例においては、地域の集団を組織化するために協力をした。

住民運動諮問委員会に登録されている地域の発展途上の集団またはそれに類するものの数は、1980年代半ば以降は着実に増大してきている。1990年代半ばには、その数は、およそ3,500であり、上記に説明したキャンペーンがさまざまな集団の出現に大きな役割を演じたことを示している(ヘルリッツ 1998)。それら集団の大多数(85%)は、非営利の団体である。その他は、経済上の団体ekonomiska foreningar、あるいは株式会社、またはプロジェクト組織とか活動団体、研究集団などといった臨時的な組織などである。これらの団体は、非営利または経済上の団体であるので、意思決定の形態等に手続き上に民主的な要請のある民主的な組織である。これらの団体は、概して非常に活動的あり、それぞれの活動の中身が、地方での役割から広範な事業に対する責任にまでと、拡大されてきた。民族地理学者ウルラ・ヘルリッツは、1,600の地域的な発展途上の団体についての調査研究に基づいて、もしすべての団体がこれらと同じように活動的で、社会に多くの貢献をするならば、それらの団体において70,000人が活動していることを意味し、1年間で440万の非営利の活動時間は6億6千万クローネに相当すると断定している(ヘルリッツ 1998,s.67)。

この場合、基礎自治体がほとんどそれらの団体の自由に任せる事例と、これらの団体が多かれ少なかれ基礎自治体の機関に統合されている事例とがある。後者の事例は、スヴォガダーレンにおけるいわゆる非政党政治委員会partiopolitiskaである。



9.1 スヴォガダーレンにおける非政党政治委員会partiopolitiskaの活動

スヴォーガダーレンは、ヒューディスクヴァルス市の北西端に位置し、デルスボ地区にある注8。



スヴォーガダーレンに関するすべての部分は、主に「オルソンおよびフォルスベルグ 1997」を要約したものである。



ヒューディスクヴァルス市には5つの地区があり、デルスボはその一つである。スヴォーガダーレンは、林業の合理化に大きく関わって、この30-40年の急激な人口減少で良く知られた過疎地域である。人口の流出は大きく、これにより、住民の平均年齢は上昇した。スヴォーガダーレンの約700人の住民のおよそ50%は60歳以上である。雇用のおよそ30%は農業に雇われている。しかしながら、雇用のほとんどはスヴォーガダーレン以外の地域との往復となっている。さらに、平均年齢の上昇と基礎住民の減少は社会サービスを次第に劣悪化させることとなった。

スヴォーガダーレンの住民は、長期間、長期的に見ればその地域の存続の危機を創り出した基本的な供給の問題に関心を示してきた。すでに1970年代に、調査研究会の形態でその地域の存続に関わる問題についての検討が始められていた。1980年代には、スヴォーガダーレンの社会サービスの劣悪かがますます顕著となってきた。市執行委員会は、「スヴォーガダーレンにおける社会サービス」という調査委員会を設置した。この調査委員会は、市の政治家と主席公務員から構成されていた。これは、主にブレンノスおよびエンゲボ地域の峡谷の北部にある学校の根拠に関して扱うものであった。この調査委員会は、ブレンノスの学校の閉鎖とエンゲボにおける継続を勧告した。さらに、すべての社会サービス(市および件のサービス)をエンゲボの同一の施設の中に集約することを提案した。この考え方は、そのような施設がセクショナリズムを打ち破ることによって統合の利益に貢献することになるというものである。市執行委員会は、この調査委員会をdallenbygdens新設された地区委員会にその取扱いについて移管することを決定した。このプロジェクトの指導的な集団は、プロジェクト指導者としての地区の長官によって指名された。スヴォーガダール・プロジェクトは、このようにして始まった。

1987年のマルングにおけるキャンペーン、「全スウェーデンの活性化」の枠内での会議に関連して、市の代表は、スヴォーガダーレンにおいて試みた計画を提案した。これにより、スヴォーガダーレンは、過疎地域派遣団によって実施された先駆的プロジェクトの枠内での全国で3つのこれからの地域社会の一つとなった。このプロジェクトの基本的な考え方は、地域の住民は、過疎地域政策の対象であるというよりは、むしろ自らの手で発展を勝ち取っていくべきであるということであった。地域の住民は、自分たちの地域をそこに住みたいという魅力のある地域にするために何が必要な方法か定義すべきである。この先駆的プロジェクトは、さまざまな前提条件を抱えた多数の地域が、財政的に将来予定されている一地域あたり100,000クローネの発足時寄付金のおかげでその活動が刺激されることになるということを意味する。このプロジェクトに参加するための一つの条件は、その属する市がこのプロジェクトに時間とお金をかける意志があるということであった。ヒューディスクヴァルス市からの正式な出願により、スヴォーガダーレンは、将来予定されている一地域と設定された。このようにして、スヴォーガダール・プロジェクトは、市代表が適切な時期に適切な場所で巡り合ったがゆえに、早期の調査研究で全国的に知られるようになった(カールソン 1993)。

スヴォーガダール・プロジェクトの包括的な目的は、生活の質、小規模であること、そして参加という言葉で表現されている。より具体的に表現された目的は次のとおりである。



[…] 事業の継続によりすぐれて機能的な社会サービスを提供する。訓練より必要とされている場合にはdar sa behovs genom utbildning、部門の境界を越えてまた専門組織間の協力を通して完全かつ迅速なサービスを創り出す。そのような方法で継続性を確保する。熱心な開発に向けた活動により一定レベルの安定した人口への可能性を増大する。長期的な参加により市地区改革を発展させる。



広範な開発活動が、ヒューディスクヴァルス市および全国レベルの両方から、参加することとなった多数の団体によって始められた。1988年秋のスヴォーガダール住民による大集会においては、計画が提出され、住民の幹事団referensgruppが選出された。作業グループが設置され、具体的なプロジェクト活動が形作られた。

1989年春に、約3,000 kvmに対する施設であるスヴォーガゴルデンが建設された。これは、学校および保育室、ホームヘルプサービスおよび地区看護を含んでいる。その上、高齢者住宅aldreanpassad lagenheterもある。さらに、公民館Folket Husの中心部分には大ホール、大調理場の付設された食堂、および活動室がある。ここにはまた、教会ホール、団体調理場、そして小図書館もある。果ては、洗濯室や木材および織物の工場までもある。それぞれの分野の事業の責任者が日々の事業を実施する。管理および財政のすべては、公民館の館長および公民館職員の活動上の指導者である個別のフロア長によって処理される。さらに、個別の指導部や自主管理委員会がある。事業責任者は、専門部門の代表とともに公民館の指導部を構成している。自主管理委員会は、9人で構成されており、彼らはそれぞれの団体および職員代表を代表している。この委員会は、学校教育、保育、高齢者介護、文化、およびこれらの分野の余暇についての事業に応えるものである。これらに対しては、地区の予算から資金が割り当てられる。

市自体のスヴォーガダール・プロジェクトおよびその他の調査に対する評価は、スヴォーガダール・プロジェクトの結果の中心的な部分を強調しており、それは、政治上の民主主義の視点から特別に興味深い。

第一に、スヴォーガダールの住民は、未活用の資源として表現される。1992年の市民調査においては、市民は、スヴォーガダーレンの発展のために何をする用意があるかに関して質問された。この質問に既に実践していたものは21%であった。さらに、その用意があるというものが15%であった。全体でスヴォーガダールの住民の64%が何もすることができない(24%)またはその用意がない(40%)と考えていた(ベルグロス&ベルグロス 1992)。これは、さまざまな形で解釈され得る。評価者の解釈は、「これは、自信にかけることを示している。この冷ややかなか関わり方の理由は、このプロジェクトの特徴である『上からuppifranstyrning』ということであろう。地域住民は、その過程に参加していると感じていない」(ベルグロス&ベルグロス 1992,s.29)。ラルス・カールソンも、その博士論文の中で、上からの地域開発に関して述べている(カールソン 1993,s.125)。スヴォーガダール・プロジェクトのこのような特徴は、納得のいく方法で図解され、分析されている。一方で、スヴォーガダールの住民の関心が限定的であるのは、自信がないことの現われであるのか、あるいはむしろすぐれた自信と確とした意志に起因する批判的で合理的な無関心であると解釈されるべきか議論されている。

この経験で得られた第二に重要なことは、誰もが過超なしごとを引受ける傾向があるということであった。評価者は、「このような人たちは、良くも悪くも、不満感を抱いている他の人たちに否定的な効果をも与える代替はできないとして活動する。これらの問題が留意され議論されることは重要である。」と指摘している(ベルグロス&ベルグロス 1992,s.29)。

導き出された事柄の第三は、スヴォーガダーレンにおける利益団体および自主管理委員会についての経験は肯定的なものであったということである。その分野の予算権限のあるmed handhavande av budget自主管理委員会は、開発活動が彼らに関わりがあるということを知り得るために特に高く評価されるものと考えられている。さらに、評価者は、「自主管理委員会についての特有な問題は、代表がどのように見られるか、自主管理委員会の代表と彼らが代表している人々とが実際に合致しているかということである。スヴォーガダーレンにおいてはその代表を既成の政党に基づいて構成せずに、地域の団体の代表で構成していた。」ベルグロス&ベルグロス 1992,s.30)。このことは、民主的な発議(次第に非政治的構成の委員会になる)が下から、積極的なスヴォーガダールの住民から生ずることを意味している。スヴォーガダーレンの利益団体の代表に対するインタビューの際には、自主管理委員会の人たちが特定の団体が委員会に代表されるが他の団体は代表されないことを不合理であると見ていたことが強調されていた。その一方で、それでもなお、運営している人々がスヴォーガダールの住民の少数の一部の積極的な住民、すなわち地方のエリート、であるという意味において、それは上からの統制であると主張されうる。



9.1.1 非政治的構成の委員会

スヴォーガダーレンにおける自主管理委員会は、1994年11月30日にヒューディスクヴァルス市に、市執行委員会がスヴォーガダーレンに非政治的構成の委員会を設置することを提案する手紙を出した。この手紙の中には、追加規定の提案があったばかりでなく、委員会への指名が学校区域skolans upptagningsomrade全体における選挙を通して行われるべきことが提案されていた。

政治過程を経て、試行期間中における非政治的構成の委員会の設置に関して、ヒューディスクヴァルス市の政党間において合意が形成された。住民運動諮問委員会の代表は、話し合い、政党に影響を及ぼす試みを行うことにより、その過程において重要な役割を演じた。1996年1月29日のヒューディスクヴァルス市議会において、次のことがらが議決された。



スヴォーガダーレン自主管理委員会において現在検討されている問題に対処するため、非政治的構成の委員会を設置すること。

この委員会は、1996年6月1日から1998年12月31日までの試行期間において活動し、この試行については、遅くとも、1998年1月に評価されること

ならびに、市事務局に対して、非政治的構成の委員会に関する規定について提案すること、および選挙がどのように実施されるべきか提案することについて、任務を課すること



この議会においては、キリスト教民主主義党のケント・ショーベルグは、委員会は、非政治的構成ではなく、非政党構成partiopolitiskの委員会と称されるべきだとする要望を提出した。この修正案は市議会において否決された。この用語論上の違いは記録として興味深い。この問題は、言葉としての非政治的構成と非政党構成においてどのような異なる活動家たちがいるかということである。スヴォーガダーレンの民主的な委員会は、政党なしに政治が行えるだろうか、あるいは、何らかの意味で政治色がないと考えられるような集団的な価値の分配に関する問題であろうか? 非政治的構成および非政党構成という言葉は、第一に、政党が委員会への選挙の候補者を指名しないことを意図している。それに替えて、その地域の一個人の指名が行われる。そして指名されたならば、委員会への選挙の候補者になることに関心がある。

これに替わる解釈は、非政治的構成という言葉の概念は、自主管理や地域開発といった他の用語によって部分的に捉えられ得る。そのような取組み方は、政党および地域社会の両方にとって関心があるだろう。政党にとっては、政治とは政党政治と同義であることが適切であり、一方で、地域社会の人の間では、政党政治と混同されてしまうので、政治に関わることにほとんど関心がない。地域に関わる政治構造には合意の性質があり、それゆえに政党政治とは基本的に異なる。したがって、非政治的構成の委員会という用語の選択は、さまざまな形態の地方政治の構造間の機能分担の表現として解釈され得る。

非政治的構成の委員会は、直接の住民選挙で選ばれる。この委員会への選挙は、1996年5月5日の日曜日に行われた。有権者493人のうちの76%が投票した。委員会は、7人の常任委員と7人の代理委員からなる。選ばれた常任委員のうち5人は男であり、2人は女であった。この委員会は2年半(1996年7月1日 - 1998年12月31日)の試行期間中に検証される。1998年の春には、この試行事業が1998-2002の議会会期中にも延長されることが決定された。



9.1.2 市民と非政治的構成の委員会

1996年、すべての投票権を有するスヴォーガダールの住民にある調査が実施された。注9



したがって、この調査は、一斉調査であった。回答率は78%(239人)であった。この調査は、ヒューディスクヴァルス市とエーレブルー市のノヴェムス大学との協動により実施された。この結果に関する詳細な説明については、オルソンおよびフォルスベルグ 1997を参照のこと。



次のようなことを中心とした質問であった。すなわち、スヴォーガダールの住民は非政治的構成の委員会をどのように見ているか? それに対する人々の受け止め方はどのようなものであるか? また、その効果ないし結果として何が期待されているか? スヴォーガダールの住民は非政治的構成の委員会に立候補する用意があるか? 応募予約があるか? 立候補するようがある人の特徴はどのようなものか?

スヴォーガダールの住民の間では、すでに影響力のあるスヴォーガダールの住民がさらに非政治的構成の委員会の設置によってより一層大きな影響力を持つことになるということがかなり広く知られている。半数がこのような内容の主張に同意していた。他方で、同じ割合の者が、スヴォーガダールの住民にとって公的サービスに荷影響を及ぼす機会が改善されること、および普通のスヴォーガダールの住民がより大きな影響力を持つことになるということに同意していた。これらの結果は、スヴォーガダールの住民は、地域のエリートたちがその地位を強化すると考えられるすべてのサービスに影響を及ぼす機会が増大すると期待していたと解釈され得る。

スヴォーガダールの住民の非政治的構成の委員会に対する全般的な見解に関しては、およそ半数は肯定的であるといえる。別の半数の間にある若干の躊躇について触れていることは、スヴォーガダールの住民の期待感として解釈される。65歳以上を除くすべての年齢区分において、このような委員会に対して肯定的であるものが多数であった。最高齢の年齢区分で異っているのは、この集団のほぼ半数が分かっていないということによっている。年金生活者は、それ以外のものよりも否定的ではなく、むしろあいまいであった。非政治的構成の委員会に対する見解は、性と年齢に関連していた。

受動的な地域社会の住民は、積極的な人々よりも、非政治的構成の委員会に対して懐疑的であった。考えられる説明は、非政治的構成の委員会は、影響を受ける近隣の人々、すなわち地域社会の受動的な人々の見方ではエリート化傾向と受け止められる地域開発の公式化および専門化のために機能することになるのではないかということである。

団体活動には、三分の一が否定的な見解を示していた。つまり、非政治的構成の委員会は、この実験が政党政治の合意の中で行われるにもかかわらず、政党政治の中において議論がないわけでもない。制約のある政党政治の連帯感がこの委員会に対して肯定的な見解を引き出すものと考えられる。このことはまた、政治選挙における票の振り分けに関しての基準により分析する場合にもはっきりしている。1994年および1995年の選挙の際に、2またはそれ以上の政党にその票を振り分けたスヴォーガダールの住民のなかでこの委員会に対して肯定的なものの割合は、、参加したすべての選挙で同一の政党に投票した市民と比べて、明らかに高かった(51%に対して66%)。



9.1.3 どのような人が非政治的構成の委員会の委員となるのであろうか?

スヴォーガダールの住民は、このような非政治的構成の委員会の委員を引受ける用意があるであろうか? 応募待機者はいるであろうか? たったの6%の者(21人)が立候補する用意があると述べていた。86%の者(301人)は、なりたくないと述べており、義務は回答者の8%を欠けていた。このような次第で、このアンケート調査に回答がなされた1996年には、応募待機者といえるような者は誰もいなかったと思われる。

この委員会の委員となる用意のある人物とは、どのようなタイプの人間であろうか? 立候補する意志のある21人のうち15人は男であり、6人は女であった。すなわち、71%対29%であった! これは、170人の男性人口の8%、181人の女性人口の3%に相当する。こうした数値は、地域社会および地域の集団とのインタビュー調査の結果と比較すると興味深い。この点に関しては、具体的な開発活動に関する質問である場合には、女性は、全体として、男性と同じように非常に熱心である。男性にとって、組織形態としての非政治的構成の委員会は、より興味深く、適切なものであろうか? 直接選出される委員会の候補者間の手続きに則った競争は、男性が加わるように誘われ、女性がむしろ遠慮する傾向があることを意味しているのであろうか? 女性と政治に関する別の研究によれば、女性は、概して、その市の政治形態が関わることについての障害となっているとみていることが示されている(ヘドルンド 1996)。

このような非政治的構成の委員会に立候補する人々についての一つの特徴は、次のようなキーワードによって示される。すなわち、教育のある、常勤の、女性より男性の、地域社会および地域的な住民団体-ただし政治団体でない-に従事している、ならびに政治上の選挙に関心が高く参加している、といったことである。さらに、立候補しようとする人たちは比較的正当志向の弱いことが示されている。



9.1.4 結論としての意見

この調査研究により、スヴォーガダーレンにおいて発展しているのは、部分的に新しい、あるいは新しくもあり同時に古くもある政治類型であるということが鋭く示されている。政党に替わって、もっとも重要な活動家たちは個人である。この新しい非政治的構成の委員会において政治家となる用意のある者は、多面的に社会と関わりを持っているが、それらは政党とはかかわりのなく生じる関わりである。立候補の用意のある者は、政治志向がかなり低い。おそらく、これは、発展中の新しいタイプの合意形成的、市民本位のもの、すなわち新しいタイプの政党に挑戦する新しい住民運動であろうか? 同時に、この挑戦は、いまだにスヴォーガダーレンにおける広範な住民に根ざしたものとなってはいないといえよう。投票率は、最初の選挙(1996年5月)の70%から次の選挙(1998年11月)の62%に落ち込んだ。通常の国会および基礎自治体の選挙によりも非政治的構成の委員会の選挙に参加する者は少ない(今日の基礎自治体 nr 36, 1998)。





9.2 ゲヴレ市における民主主義についての実験

ゲヴレ市の「地方自治発展のための地域政治戦略」には、公的事業はあまりにも大幅に専門的行政および熟練者によって形作られてきたということを強調する問題の建て方があった。注10 さらに、社会の変化とともに、多くの事例において、意思決定および責任はともに高位のレベルに引き上げられ、あるいはますます少数の人間に集中されてきたことが強調されている。これらの問題を処理するために、彼ら自身がこれまで以上に一層自らすすんで日常的な事柄の責任を取らなければならないと思われる。したがって、ますます多くの人が自分自身の日常的な状況について、市民として、その住んでいるところで、その仕事場で、消費者として、またその余暇について判断することができるようになることが求められる。ここで、団体活動や産業活動と協力して興味深く引き込まれるような参画の形態の発展を刺激することが考えられる。住民を引き込むことの拡大が強調されている。市民参画を拡大するための過程に責任を負うべき者が、一人ひとりの熱心かではなく、多数いなければならない。



注10: ゲヴレ市における民主化促進プロジェクトに関する本節全体は、オルソン 1998 による。



POG審議会は、急ぐべきではないと考えていた。もしその基礎自治体が伝統的な基礎自治体のやり方で進んでいくのであれば、改革活動を上から統制する危険を冒すことになる。それは、おそらく、人々が達成しようとしていることを抑制することになろう。すなわち、市地区外の地域への思い入れと自意識を強めることになる。結果として、そうした意図は、発議が下から生じる場合にのみ達成されることになる。市全体における試行事業を始めるのと同様に、即時の活動により全体的な改革を実施するという考えに対するものである。それゆえ、審議会は、二つの市地区、すなわちハムロンゲ(田園部)およびセトラ(都市部)のみの、より限定された試行事業提案することとした。この選択は、地方自治発展について、都市的な環境と田園的な環境という異なる前提条件に照らしたものである。これらの二つの市地区に目が向けられたは、一つにはハムロンゲにおける地域動員の形でのゲヴレ市に向けられた要求、また一つにはセトラにおける住宅改善のためのHSBおよび借家人運動による発議といった、地域の活動家たちの従来からの発議の結果であった。これら二つの市地区は、ごく当然のごとく実験地域となった。1995年3月、ゲヴレ市議会は、この審議会の提案を基本方針に採用し、これによりこのプロジェクトが始まった。

民主化プロジェクトの統括は市執行委員会が行っている。しかしながら、このプロジェクトには伝統的なプロジェクトリーダーはいない。一人の公務員がこのプロジェクトの調整役を勤めるが、遂行する上での責任を負うわけではない。実験地域でこのプロジェクトの実現する上での責任は、市議会の決定によれば、この地域の指導的集団によって取られることとなっている。この集団の会議に関しては、定まった方針は何も示されていない。

ハムロンゲ開発集団は1995年に創設されている。この開発集団は、ゲヴレ市の発議で創設されたものである。当時の市kommunalradetや公務員の誰彼かなどの市の代表 -民主化促進プロジェクトに関する説明会にしばしば出席し、そのうちの一つの説明会で、出席していたその地域の住民たちが選挙委員会を選出した。これは、ハムロンゲ地域の開発集団に委員を推薦することをその役割としている。これらの説明会に一般住民の大多数が出席していたわけではない。しかしながら、その最後の会合で開発集団の委員が選ばれたのであるが、その会合には、およそ40-50人が出席していた。

市指導部の地域における開発集団の指名に際しての基本指針および基本原則は、それらは非政治的構成であるべきであり、7人の委員からなるものであるべきであるということであった。さらに、市指導部は、その集団が広範な地域、広範な人々の知識を集めたものであるように、市域のさまざまな地域から出てくることが望ましいとしている。このことは、ハムロンゲ地域における従来のさまざまな地域および団体間の競争と緊張とを考慮すれば、たいしたことはない。これらの基準の基本原則により、選挙委員会は、開発集団の構成員としての任務を行う意思がある候補者の氏名を入手する役割を与えられた。この一般住民の出席していた会合に際しては、選挙委員会は、7人の候補者を紹介していた。会議の途中で更に2人の候補者に関する一般住民からの提案が出された。その地域の住民は、2人の候補者を落とす代わりに、構成員の数を9人に増大することを選択した。これらの構成員は、それぞれ異なった地域に住んでおり、それぞれ地域のさまざまな団体の活動的なメンバーでもある。

この集団は、伝統的な役員会ではなく、すべての官職と出納係を受け入れる招集権を有している。この開発集団は、すくなくとも月に1回、ときには2回、招集される。その会議は公開であり、地域の住民が出席しやすいように各地に移動開催される。会議の場所の選択については、ほとんどの場合、どのような問題が検討されるかということによって決定される。ある地域に関わる問題については、当然にその会合はそこで開催されることになる。議事日程は会議にあげられないが、現実の問題が取り上げられ議論される。それぞれの会合は会議録に記録される。

セトラにおける民主化プロジェクトの組織化についての特別な挑戦は、市地区における地域動員の欠落であった。何らかの形の地域における協力者がプロジェクトをスタートさせることができるためには必要であるといわれていた。適切と思われる解決は、市地区において定評があり良く知られたスポーツ団体 IKセトラとの協力を始めることであった。市とIKセトラとは、このスポーツ団体がセトラ住民の公的な会合の選挙委員会として機能すべきだということについて意見が一致した。この合意は、クラブが団体および個人に相談する役割を果たすことを意味する。フルタイムで何ヶ月間かスポーツ団体の役員会の構成員が市地区のなかを走りまわって、この民主化プロジェクトに団体および個人の関心を呼び起こそうと試みている。彼らは、さまざまな会合で、後に創設される25人程度の集団に入ることとなる代表を指名する機会を有している。また、住民が市地区の発展に関わるさまざまな提案を入れることができる提案箱もある。

1995年春、例年行われるセトラ祭りと関連して、このプロジェクトは、ほとんど公開の形で示された。1995年10月、当市地区のすべての住民が参加した公開の会合がもたれた。この会合では、セトラにおいて民主化プロジェクトを実現することに責任を有する25人によるプロジェクト集団が選ばれた。この集団は、オープン・フォーラム・セトラと名づけられ、移民、新住民、長期居住者および市地区のすべての地域の住民といった人々の集まりとなっている。

ハムロンゲの目的の記述とセトラの目標の記述とはきわめて類似している。これらの二つの事例においては、民主化促進よりもむしろ地域開発をどのようにするかという一連の戦略と活動が問題となっている。しかしながら、参加の拡大は、主要な、またきわめて直接的に民主化促進に関わる民主主義の一側面である。参加の原則またはルールの欠落は、民主化促進としてよりもむしろ市民の社会参加の全般的な発展に反映されることになる。ルールに関する問題を民主化プロジェクトの議題に「持ち上げる」ことは妥当である



9.2.1 途中経過について

このプロジェクトの最初の2年間にこれらの地域集団にどのような問題および試みが実際に生じただろうか?

第一には、ハムロンゲとセトラの集団がその地域の住民を広範に動員する困難な試みであった。これら二つの市地区においては、活発に活動しているものは15-20人であるが、非常に熱心に従事している。動員の問題については、二つの市地区間で部分的に異なっている。セトラにおいては、自主動員は困難であったと思われる。住民の間には欠点の多い住民運動の伝統がかなり広範にある。ハムロンゲ地域においては、非常に熱心であるが、統一的なハムロンゲ・プロジェクトの枠内で定義し、誘導するということは、まったく単純ではない。この地域における動員の難しさは、調整および協力問題という要素である。しかしながら、ハムロンゲの開発集団は、その集団の非政治的構成の特徴のおかげで少なからず、肯定的なしるしを認めている。どの構成員も、政党綱領による拘束や党員としての役職を考慮する必要がないかまたは承知している必要がないのが強みである。今や、構成員らがその地域の最善のために活動することに専念することができると考えられている。多くの構成員は、政党政治の活動家であるかあるいはかってそうであった者である。しかしながら、彼らがこの集団において活動する場合は、目の前のハムロンゲ地域の福祉のためにということがあるので、それは表に出されない。開発集団の中では、政党政治については決して議論されることはない。

第二に、この開発集団のそれぞれの行政との関係には、部分的にさまざまな特徴がある。多くの事例においては、非常に肯定的な経験が得られているが、その一方で、その他においては否定的な知見も見られた。ここに一つの良い事例をあげると、一方では、セトラの開発集団における交通問題等に関わる技術事務所との適切な協力であり、他方では、とりわけ新設のアイススケート場に関わる余暇委員会とのうまくいかなかったコンタクトの事例である。地域の集団と行政との関係がさまざまであるということに対するそれぞれの説明ということになるであろう。例えば、地域の集団が代弁者として行動し、経費のかかる提案をするならば、実際の行政との関係では難しいと思われる。民主化プロジェクトの目的においては、当然に、市の組織の効率化に貢献するものとなることでもある。そして、新たな投資が現実的な代替案として位置付けることは考えられないことを意味する。このような多様さに対するその他の説明は、文化の違い、行政における時間不足および公務員と地域の代表者たちとの間の単なる利害の対立ということになろう。



9.2.2 今後の議論

今後、ゲブレにおける民主化の経験はどのような姿になっていくのだろうか? このプロジェクトは、集団的な民主主義の観点から生じ、スウェーデンの民主主義からは外れた特徴がある。このプロジェクトは、いろいろな形で政党制度や市の行政に挑戦するさまざまな形態の参加を刺激している。一つの筋書きは、このプロジェクトが小さな政治と大きな政治との間での不明瞭な権限分担の道筋をたどるということである。すなわち、政治の分裂である。発議、議論および議決は、市の組織の内外にばらけることになるだろう。実のところ誰が何に責任を負っているか知ることが困難になってしまうだろう。多くの者が関わっているが、彼らは、決定的な影響力を持っている地域の新しいエリートたちである。ここの単位組織および行政は、優れた処理能力を示すであろうが、全体としては欠陥がある。

もう一つの筋書きは、市の決定の多くが直接市民に基づいたものであるというものである。もし市民がそれらの決定と実施に信頼の念を抱いているならば、権限規定に関わる問題は、それほど重要ではない。広範な動員と合意に基づいた決定は、政治責任を明確にする必要性を少なくすることになる。日常的な事柄についての権限は市民および市民らの団体によって行使される。政党との関わりおよび政党との連携活動の拡大は特定の関心事項についての一方的な影響力の行使の危険性を低くする。処理能力は、需要と問題が判然としている場合に拡大する。地域の新しいエリートたちが出現するが、彼らは、その他の関わっている市民により常に検証され、統制されている。

大体のところ、発展のための決定的な問題は、まさに古典的なリベラルな民主主義理論におけるように、調整と行動の自由との間の調和の形態について議論しそれを発展させていくことである。民主的な統制と監視は、逆にその権限が調整される前提条件として、明確さを必要とする。他方で、長期的な調整は市民の動員および参加が制限されることを意味するであろう。



9.3 オーレ市における“市民参画の徹底化”

“市民参画の徹底化”とは、最初からオーレ市における社会民主主義の政治的立場による発議であった注11。このプロジェクトの誕生については、いくつかの理由が言われている。一つには社会問題に関わる人々を増やすことであり、また一つには市の事業のあり方について別途の道筋を見出し、こうした問題についての市民と政治家との間の関わりと対話形成の機会を増大することである。政治家などからは、地域開発集団の地域外に見られる流れが利用されるであろう。これはまた、民主化プロジェクトの目的を決して十分に表現するものではない。このプロジェクトは、市民参加を拡大し、時間外における雇用sysselsättning in förlängningen を増やすことにより、市のお金を節約することになる。このプロジェクトの目的についての説明のなかで、その方向性に基づいて、行為とその効果に関して強く強調されることとなるだろう。雇用の増大とか市のサービスの維持/増大するといった形での具体的な成果が得られるように試みられる。プロジェクト説明書により、サービスの削減、税金の引き上げまたは手数料の引き上げに対する第四の代替案が発展させられることになる。



注11:オーレ市に関する本節については、ノヴェマスのヘレン・リョーマルムによる未発表の調査研究の要約版である。



目標設定は、プロジェクト説明書によれば、6つの部分目標に別れている。

◇ 積極的な市民参画により民主主義を徹底させること。

◇ 市民の市財政への参加と理解を深めること。

◇ 公的部門への住民の関わりを増大させること。

◇ 市のサービスを維持すること。

◇ 全体で3年以内に、市ではなく、それぞれの地域ごとに、新たに少なくとも10回の活動/参加の機会を設ける。

◇ このプロジェクトを通して市の事業を効率化すること。



このプロジェクトは、オーレ市、ジェムトランド・レーン執行委員会およびEUの資金により財政処置される。このプロジェクトは、1997年に始められ、2000年までの3年間継続されるものと見込まれている。



9.3.1 組 織

包括的責任および統制機能は、市執行委員会の活動小委員会からなる市の指導部にある。このプロジェクトの実施についてのその推進者および責任者としては、オーレ市の職員である中枢部のプロジェクト指導者がその役割を果たし、その事務所をイェルペンの市事務所に有している。その場合、ある地域のプロジェクトの財源が地域外にあり、したがって、地域における活動を調整しそれぞれの地域のネットワークを管理すべき地域のプロジェクト指導者は地域外にいる。この地域プロジェクトの指導者は、それぞれの地域の財団から財政処置を受けている。こうした機能に加えて、さまざまな専門的要素、たとえば財政運営、司法判断、ITなどが地域の財団の発注により購入され、活用される。それぞれの地域の財団は、それなりの形態のある、つまり役員会や成文化されたものを有し、法令により組織化されている。さらに、団体それ自体は、さまざまな関連の活動集団に別れている。

それぞれの地域に、それぞれの地域の広報および調整センターとして機能すると考えられるこのプロジェクトの一部としての地域事務所が設置されている。そこではそのプロジェクトの財政処置を見出すために活動の支援を得、相談することができると考えられている。プロジェクトの広報によれば、地域事務所は、「地域住民、市およびその他の当局、行政との間を当然のごとく結ぶ環として機能する」。

この民主化促進プロジェクトと平行して、オーレ2002と称する別のプロジェクトがある。オーレ市の企画力を強化する予見的な計画書であり、これによって市が生き残っていくことを確かなものとするものである。これは、市、雇用センター、産業、そして地域開発集団間の協動である。



9.3.2 地区役員会områdesstyrelseおよび地区別小委員会geografiskt utskott

1998年5月、議会は、2年間の実験ということで議会に地区別小委員会を設置すること、および市民の参画と責任を強化する目的の地区役員会を設置すること、そして縦割りを打破することを決定した。地区役員会は、半数は議会によって任命され、半数は直接選挙によるという、かなり独特なものである(総数10名の委員および代理委員)。これは、通常の委員会と非政党構成partiopolitiskの委員会との混合したものである。この地区役員会は、地理的な範囲の中で、幼稚園、小学校、高齢者介護について所管する他の委員会同様の位置づけがされている。この地区役員会は、地域開発集団に替わるものではないが、その活動自体は継続するものである。この直接選ばれる5つの席への候補者指名の過程においては、54人が候補として指名され、投票用紙に載るためにはこのうちの30人の賛成が示される。選挙は11月の中旬に実施され、地域役員会の議会側の委員は1998年12月の初めに任命された。投票率は低調であった。有権者のわずか47%が選挙に参加しただけであった(今日の基礎自治体 no.36,1998)。



9.3.3 影 響

プロジェクト「市民参画の徹底化」は、民主化を目指した政治主導の発議であったが、効率性と行動を強調するものでもあった。市財政の悪化がこのプロジェクトの原因であったが、顧客としての私人の市民から活動的に参加する政治的市民へと発展する市民の観点も原因となっている。多分、このプロジェクトが旧来の地方における住民自治のモデルを再構成する試み、すなわち、集権化や基礎自治体の統合に対する反動の一つの現われとしてとしてみなされるかもしれない。住民たちが自分たちの地域に対する誇りを感じるであろうということ、そして関わっているという感情であるということが言われている。スウェーデンの他の地域でハーレンの地域感情について語られていることを聞くことがあるということについて一定の展望がある。このような形で分権化の効果が達成され得る。それは、なによりもまず、機能、行政、政党政治に代わって正当性の根拠として引用される地域の一体感である。

代表性の問題がある。限られた数の既に活発な人々に関係することであろうか?これまでの経験に限っては、それは、一塊の少数の熱心な住民であること、特に女性であることを示している。しかしながら、プロジェクトの指導部においては、住民がこのプロジェクトの結果を知り始めたとき、市の事業の一部に実際に参画できる分かったときにより一層熱心に関わるようになると思われている。

このように、長期的に見れば政治家と公務員と市民との間の役割分担で効率化することができる集団的な関係とか公的な団体の構造を再構築する政治上の意図がある。また、さまざまな方法で市民の地方の政治への参画と関与を増大するための実験をしようとする政治的意図もある。地域役員会や地域小委員会の創設は、スウェーデンおよびその他の集団的な形態の民主主義を結合する一つの方法である。



9.4 印象と議論のまとめ

地域開発集団という現象に関しては共通のテーマが数多くある。それらは、とりわけ、どれだけ多くの市民が関わっているかそしてそれがどれだけ続いているか、またこれらの集団と市との間の関係に関わるものである。

すべての民主化の実験において出てきている共通の問題は、多数の市民を唱導者たちに十分に知られるように上手にかかわらさせることの難しさである。しばしば、参加は、それ自体が目的であると言われ、市民の姿が見えないという失望を生ずる。これは、古典的な問題であり、とりわけ、地方のエリートたちが市民の支持をめぐって相互に競い合うという競争民主主義の唱導者たちは、常に自分たちの主張に対する新たな支持が得られるようにしている。私たちが地方における民主化の実験において実際に生じたことをほとんど見ずに、さまざまな形態の民主主義についての主張の論理をほとんど捻じ曲げたりしないならば、参加民主主義と競争的な選良民主主義との間の古典的な差異はいくぶん疑問に思われる。

第一に、いずれの事例においても、かなり多数の団体で市民がさまざまな形で代表されているという意味において参加度は低いというよりはむしろ高い。当然、多くの団体については、この状況は、あまり関わるべきではないという主張として捉えられるべきではないが、それでもなお見たところ留意すべき重要な問題を指摘している。例えば、ゲヴレ(ハムロンゲ)の事例においては、さまざまな活動的な利害間の部分的な調整問題および協力の問題が生じ、また別の地域では、責任関係が不明瞭な「希薄化」への傾向が観察され、彼または彼女が実質的に影響を及ぼしてきたとは考えられない(モンティン,red 1998)。ルールが示されないならば、相互に協力することのない並立的な団体が数多く発生している。

第二に、参加民主主義の目標は、全然示されていない。むしろ、出現してきている地域の団体は、必ずしも参加民主主義の実験といった言葉では表現されず、むしろ地域開発とか動員とかの言葉で表わされる。一般的に、市指導部は、概してすべての組織改革を参加民主主義を創り出すという目的で述べる一定の傾向があると考えられている。私たちは、市地区委員会や目標管理などに関する議論からそうしたことを承知している。市のサービスの効率化、質の改善、あるいは利用しやすくすることを第一の目的とする改革は、しばしば、さまざまな意思決定過程への市民の直接参加を拡大する目的で改革として述べられている。このような形で効率性と民主主義とを統合するのは、一つの北欧の現象であると思われる(クラウセン、ストールベリ 1998)。

同じような形で、地域の組織化は、一つには共通の問題を解決するために資源や能力を動員する方法として、また一つにはそれ自体を目的として市民を関わらせる方法として考えられている。唱導者である市指導部は、このプロジェクトを一つの参加民主主義と述べているのに対して、一方で地域レベルでの参加者自身は、なによりも地域開発プロジェクトであるとして述べている。彼らは、この組織を参加民主主義のプロジェクトとして考えずに、むしろ地方の資源を動員し、具体的な問題を解決するための方法であると考えている。このため、地域動員と民主主義との間になんらかの対立があるとは言われておらず、さまざまな関係で参加する内部民主主義に期待される大きな事柄

民主主義と地域動員、問題解決との間の関係に関するこうした議論は、当然に、高度な参加は多数のものが関わるようになるための所与の前提条件ではないという第三の問題に結びつく。比較的に少数の者が公開の大きな会合、あるいは団体の集会といったようなさまざまな催しに参加するとしても、議論される事柄はその他の人々に拡大されるだろう。このようにして、間接的な効果が生ずることになる。しかしながら、この前提条件は、議論される事柄が市民にとって実質的な問題に関連があり、「受動的な人々」と「能動的な人々」との間に交流があるということである。みたところ受動的な人々、すなわちさまざまな会議等に参加しない人々は、さまざまな-おそらくはそのときどきの-世論の形成や動員または結果即応の過程においては、十分に活動的であるということであろる。しばしば、プロジェクトの存続と成功にとって決定的な「熱狂的な人々」の存在が言われている。しかし、小さいけれども非常に重要な貢献がさまざまな肯定的な結果をもたらす別の人たちもいる。熱狂的な人々や指導的な人々は、プロジェクトにとって非常に重要であるが、小さな日々の事柄に貢献する草の根の人々も同様に大切である。

地域の集団と市との関係は、さまざまな形で形成され、さまざまな影響を及ぼす。あからさまな市の影響力の行使や参画の推進は、地域の集団自体を損ね、市や国の言いなりになり、あるいは市の制度の中に取り込まれるような結果となる(ベルグルンド 1998)。市財政の担当者と市民の十分なサービスをという需要や願望との間で厳しい状況に陥ることもありうる(オルソン、フォルスベルグ 1997)。初めから人々が関わることの推進力となっていた自治と統合は、大きな民主主義における統合の中に消え失せてしまう。相対する形は、地域の集団が長期的な自主管理を付与され、長い目で見て、市のサービスについてより大きな責任を負うものである(オルソン、フォルスベルグ 1997)。

たとえば、政治上の諮問的な機関が自立的な財団に変えられた事例がある。そのような制度は、断片的で不明瞭な権限と責任という状況を導くことになるだろう。市の側からの統制または参画の推進がなければ、地域の集団が事実上どのような参画もできないということにもなり、あるいはそれらの努力のなんらの実質的な結果とならないということにもなってしまうだろう。それは、おそらく、現実の政治的重要性以外の地域の文化的要素であろう。一定の事例においては、集団や地域などがネットワークを形成する。それらは、自立的な集団と市における統合との間に位置する。そうした形態variantのものは、地域協議会またはそれに類するものが、たとえば分担を通して、市組織の一環となるように組織化されることになろう。このような形で、政党代表制は、地域代表制により補完されることになる(オルソン、フォルスベルグ 1997)。



ここに詳細に説明した民主主義のいろいろな実験は、私がスウェーデンの民主主義と呼んでいるものの状況におけるさまざまな種類の新機軸を示している。いくつかの事例においては、議会とか委員会などのような現在ある諸制度を刷新しようとする試みとして議論されている。別の事例では、代議制民主主義の、とりわけ集団的な利用者の参画という形での、補完物であると議論されている。共通の特徴は、さまざまな形の政治の分権化および「官庁の地方分散化」である。これにより、田園部に位置する市が全般的な分権化の拡大への道をたどりつづけているとはいえない。多くの基礎自治体における財政的、政治的統制についての中央集権化および集中化の種々の特徴がある。中央集権と地方分権の組み合わせが生じてきている。市の機関のさまざまな部署による財政的統制は、政治上の決定が新しい集団主義的な団体に及ぶと同時に厳しくなってくる。

個人主義的な、そして新しい形態の集団的な民主主義への取組みは、既成の基礎自治体における民主主義にさまざまな形で挑戦している。次節においては、近年における民主化の実験にこれらの関係に関わる理論の支援により焦点が当てらよう。



10 小さな民主主義と大きな民主主義

近年、政治家の行動範囲が小さくなってきたとしばしば批判されている(民主主義調査委員会に対する諮問1997:101など参照)。これにより、国の政治上の機関の行動範囲が分かることになる。経済のグローバル化は、個々の国家の経済が世界経済において生ずることがらにますます依存するようになってきたことを意味する。政府が自立的な国家財政政策を運営することができるかどうかは、大きく世界経済のさまざまな当事者に依存している。国の政治上のそして民主主義の諸制度は、国際化と分権化の双方によって圧力を受ける傾向がある(ペテルソン等 1997)。このことは、必ずしも国政の重要性が大きくかつ決定的に減じていることを意味するものではないが、その重みは、政治上の決定がますます大きく多くのレベルで、とりわけさまざまな種類の機関間、地域間の関係(パートナーシップとも呼ばれる。)において、低下しているのと同時に軽くなっている。



10.1

しかしながら、政治が、地域レベル、国レベル、国際レベルで社会を形成することができるかどうかという可能性は、政治の発展により、少なくなってはいない。一方、現在の政治形態は、たぶん、新しい、さらに政治的、民主的な役割に適合していない。政治は「膨張」してきており、さまざまな方面に拡がってきている。一方ではEUその他の国家とか地域とかを超えた機関に発展し、また一方では国内のさまざまなレベル、環境に拡がってきている。共通の問題を処理し公的な資源の分配するための法令を定めるという意味での政治上の決定は、代議制民主主義の諸機関の内部、それら相互間、そしてそれらの外部に行き渡っている。私たちは、そのような展開の事例をさまざま国際的、全国的なことがらに見ている。この10年間の経過において、こうした政治の膨張を象徴する言葉、たとえばパートナーシップ、ネットワーク、「政府」の替わって「ガヴァナンス」、代議制民主主義の替わって機能的民主主義という言葉が非常に頻繁に使用されるようになってきた(エランデル 1997;クーイマン 1993;キッケルト、クリン&コッペニャン 1997;オルソン&ヤコブソン 1997;ロデス 1997)。

国家と市民社会との間の境界は、特に地域レベルで、あいまいになってきている。地域の開発集団、地域byalag、事業団体は、社会的な団体よりもより一層そうである。第一に、それらは、地方の政治を形作りそれを実行することにより政治に高度に参画している。第二に、それらは、価値観と利害を共有している人々が居住しているわけではないということを通しての政治的な結束である。むしろ、彼らは、共通の問題について共同で取り組む、さまざまな価値観と利害を持った人々である(バング&ソレンセン 1997 参照対比)。政治の膨張は、政治上の決定が広範に及び、政治上(自治体)の境界と社会(市民社会)の境界との間があいまいになるというこの二点で重要である。政治はまた、社会の中の存在でもある。

この報告書の調査研究の目的である多数の民主化の実験における利用者の参画、地域の開発集団、選択の自由、市民による諮問委員もまた、政治の膨張の現われである。集団主義的な人物、すなわち、何がいつどのように代議制民主主義の機関から他の集団的な環境へと変えられるかということを受け取る人物による決定がますます増えている。この点に関して非常に興味のあることは、決定権が市の機関の公務員に委任されているということではない。そして、このことは、さまざまな利用者集団および市民集団に対して以外、自治体統合以来ずっと進行している経過である。



10.2 民主主義の膨張?

しかしながら、こうした脅威が含んでいる諸問題、そして実際に何らかの脅威があるという問題については、さらに照明を当てられる必要がある。政治が膨張しさまざまな利用者集団および市民集団に拡がることについて検討するとき、私たちは、民主主義理論の核である問題、すなわち、‘demos’-権利と義務を備えた市民の連帯medborgarsammanslutningar-を形作るもの、他の市民の連帯とどのように区別されるかという問題にたどり着く。これは、何が一定の権利と義務を備えた市民の連帯を形作るかについての基準を示すものではない。ある民主主義の中でどのような人々が「住民」を構成しているかということについての考え方は、それぞれの民主主義のモデル間で異なっている(ヘルド 1996)。それぞれの市民の連帯間で、とりわけ民族国家において、しばしば地域的な区割りが生じる。たとえば、さまざまな選挙に際して、どこに投票する権利を有しているという観点で区割りを見ることができる(ローサス 1995)。

近年のスウェーデンにおける発展を見れば、このような意味での「住民」の数が増大してきている。私たちが何年か前にその他のEU市民とともにEU議会の構成員を選出する一つの住民を形成した後に、多くの市がより小さい市に分割されて、いわゆるスヴォーガダーレンの非政党政治的委員会を選出する地域的に区分けされた市民の連帯が出現してきた。もし、私たちが投票する権利を無視するならば、地理的に区分された集団が多数ある。それらに共通なことは、市民には所与の権利と義務があるということである(メーハン 1997)。このようにして、市地区または地域社会は市民の連帯、すなわち‘demos’を形成する。

したがって、「住民」に関わる変化は、大きな範囲にわたっている。そのような変化が生じることは、地域的な区分が政治過程を通して生じ、それぞれの政治的、歴史的、文化的背景により異なる社会的創造物であることを示している(メーハン 1997;ソレンセン 1998)。ペテルソンらは、このことについて次のように要約している。



市民による連帯は、地域に基づいても、また地域に基づかなくとも創設され得る。民主主義は国家を必要としているわけでなく、実際には地理的に境界のある一つの範囲に統合されるものではない。権利とそれに対応する義務とをあわせもったどうにか永続性のある市民の集団があれば十分である(ペテルソン等 1997,s.24)。



‘demos’をしっかりと形成しているかどうかは、政治過程および歴史的、文化的な状況の結果であるという基本点から、機能的な区分も地域的な区分も考えられる。ここで、私たちは、今日実際に行われている機能的な区分と地域的な区分の混合であるさまざまな種類の利用者執行委員会および地域執行委員会についての議論にたどり着く(ソレンセン 1998)。これにより、私たちは、さまざまな「民主主義」 -すなわち、そこでは市民の連帯が共通の問題に対する管理体制を形成している- の氾濫を目の当たりにする。私たちは、政治が膨張しているのと同じような形で、民主主義が膨張していると言うことができる。大きな民主主義の単位の枠内で、部分的に重なり合った数多くの民主主義demokratierが生じている。原則的に、それらは新しいものではなく、すべての民主主義は、特定の市民集団を含むがその他の市民集団は除外しているので、部分的である。新しいことは、部分的な民主主義が増加し、さまざまな方法で市が形成した小さな部分的な民主主義に対抗していることである。

スウェーデンの民主主義の観点からは、民主的な諸制度を備え、機能性の優れた代議制民主主義に対する期待によって、政治および民主主義の膨張は、少しも問題とはならないと思われる。このような多様性はどのように調整されるべきであろうか? これらのさまざまな利用者の連帯および市民の連帯は、政治上の包括的な観点では財源の分配を指導している場合に、どのように一つの民主主義の帽子のもとにまとめられるべきであろうか?

これは、「上から」の取組みである。私たちは、個々の市民又は市民の連帯の観点からの判断は異なると考える。利用者委員会や地域の開発集団などの部分的な民主主義(小さな民主主義)は、市民の民主主義研修の促進し、共通の問題への関わりを深めることになる。小さな民主主義においては、政治は、大きな民主主義におけるよりもより具体的になる(ソレンセン 1998)。それらは、幼児やあるいは地域社会の開発に関わる具体的な問題を扱う。大多数は、市との政治的な関わりよりも、むしろこのような形の政治的な関係を選ぶ。それらは、明白な努力の結果をも示す形で権限と責任を創設することとなる。したがって、さまざまな形態の利用者団体や市民団体は、一般的に、地域の民主主義を促進すると見られている。

小さな民主主義と大きな民主主義との間の関係について議論することのさらなる必要性を指摘する二通りの視点から二通りの解釈がある。政治および民主主義の膨張が民主化された分裂社会とならないようにどのようなルールが作られる必要があるだろうか? 小さな民主主義と大きな民主主義との間の正当性があり信頼性のある関係はどのようにして築かれるのだろうか? これらについて答えを得るために、私たちは、近年著しく効果を上げている理論、すなわち社会資本の役割に関する理論に頼ることになる。



10.3 機能的な民主主義と社会資本

民主主義と公共政治がどのように機能しているかに関するイタリアにおける広域的な相違について報告された調査研究は、地域社会における市民意識の発展を求める強力な議論を示している(プットナム 1996)。イタリアにおける調査研究の結論は、一連の次のような現在の「市民社会」と民主主義の重要性とを熟視しつつ、研究者に関しては、、現在の社会問題を処理するために新たな「パラダイム」を追求するという表現であった(フォーレイ&エドワード 1997)。民主的な諸制度と効率的な政治制度に対する比較的高度な政治参加と信頼という意味での「機能的民主主義」 は、当然に、その社会的関係において長期間にわたって相互関係と信頼を発展させ、連帯と協動が最善の解決策であるという共通の基本的な考え方となり、そして人々は共通の問題を解決するための社会的ネットワークや組織を築いていくことを選択することになると思われる。簡潔に述べれば、機能的民主主義は、信頼と共通の基準と社会的ネットワークとからなる社会資本を必要とする(プットナム 1996)。

機能的民主主義は、実際には協動することによって最善の結果を引き出すことになるにもかかわらず人々が協動しない場合に生ずる社会的板挟みを解消することに関わるものである。人々が他の「すべての」人々が協動するであろうことを信頼しない場合、人々はすべてのものが失敗することになる短期的利害に従う。効果的な協動、すなわちまさにすべての人々が共通の目標に向けて協動するということは、他のすべての人々が協動すること選択することを信頼するときにのみ生ずる。このような他の人々に対する信頼および信用がなしには、協動を進めることは社会的な板挟みを生ずることになる(オストロム&ロステイン 1998)。

このような社会資本は、大きく成長し、いくつかの相互に強化していく要素からなるものである。もし、人々が協動をすることを「利益」とみなすならば、協動は増大し、またそれによって社会資本が増大する。その結果として、市民意識が一定の前提条件という環境において生じることとなる。この前提条件は、しばしば長期間-プットナムはイタリアにおける調査研究において100年といっている-をかけて発達してきた。

大きな社会資本に発展し機能的な民主主義となるためにはそれを打ち壊すよりもより長い時間がかかる。スウェーデンはしばしば「住民運動民主主義」と称している。多方面にわたる団体活動と活動的な政党が民主主義の基盤を形成している。さらに、総合的な福祉政策は、相互の信頼と連帯を創り出すような標準を特徴としている(ロステイン 1994)。したがって、社会資本の重要性に関する理論によれば、スウェーデンにおれる参加民主主義の前提条件は、世界の他のどのような地域におけるよりも大きい。スウェーデンにおける住民運動は、スウェーデンにおける社会資本の非常に重要な基盤の一つであるといわれている。1946年以降の住民運動に関する「読本」の中には、北イタリアの市民についてしっかりと思い起こさせるプットナムの次のような記述がある。



物事を改善していくためにどのように協動すべきかについて一致するためには、当然に長い時間がかかる。現在の住民運動の背後には、数多くの失敗がある。しかし、人々は、長期的に活動し団結することを学んだ。団結しようとするならば、互いに敬意を示すことを、とりわけ、他の人々もまた権利を有し、信頼に足る協動となるためには、自己の考えを抑制することを学ばなければならない。こうしたことは、そのような社会であれば、一つの社会の中の市民として、少なくとも彼らの大多数がなによりもそのような社会を好むということを学ばなければならないことである。このようにして、われわれの住民運動の構成員は、実際には、彼らがその団体のよき構成員であることを学ぶと同時によき市民、連帯する市民であるために、非常にたくさんのこつを学んだ(エルディン 1946,s.12)。



住民運動民主主義は、現代スウェーデン社会においては決して特別に活発であるということはない。伝統的な住民運動は、その力を失ってきている。少なからずの政党が市民とのつながりを失ってきている。さらに集団的な連帯による解決手法は個人主義的な解決手法により鋭い挑戦を受けるようになってきている。政治的な市民というよりもむしろ消費者としての市民を志向している。このため、社会資本が減少してきて、このような形で民主主義を強化するために再構成される必要があると言えよう。多くの基礎自治体の民主化計画およびそれに類するものにおいては、プットナムまたは社会資本および市民意識について言及しているそれに類する調査研究と何らかの関係がある。今日のスウェーデンの民主主義改革手法が私たちの住民運動の歴史に対してよりも国際的な論争に対して広範に投げかけられているということは、自己否定に思われるが、十分に論理的であると思われる。



10.3.1 社会資本はそれ自体が民主的であるか?

プットナムの調査研究の全般的な印象は、社会資本は、それ自体が民主主義を促進するものであるということである。その意味は、本来は、概念を有していない。元々は、この言葉の概念は、財政理論からでてきたもので、物理的、財政的、人的な資本に類型化されるものである(コールマン 1990)。社会資本と人的資本との違いは、特に、前者は個人が所有するものであるのに対して、後者は個人が公的に開発されるものであるということである。社会資本という言葉は、社会的な行動をもたらすところのものに関わるという意味において中立的な概念である。これは、人と人との間の関係が行動を容易にするような形で変化するときに形成される。構成員が相互に信頼を明らかにしている集団は、そのような全体を通した信頼を欠いている集団よりもより大きな行動能力を有している(コールマン 1990,s.304)。

団体や組織といった形での社会的行動の広範なネットワークは、民主主義が市民意識という意味において発展させられることを、または政治上のかつ民主的な諸制度がより良い形で市民の間に根づくようになることを必要としない。強固な社会資本もまた、さまざまな集団間の対立と社会の分裂に導くことになるだろう(フォーリー&エドワード 1997)。社会資本がどのような方向に活用されるかについての決定は、政治上の諸制度がどのように機能し、共通の問題解決に関わる既成の基準や法令が市民社会のさまざまな組織との関係でどのように機能するかということである。

既成の政治上の諸制度が法律的に市民のさまざまな組織化に適合する力を有しているならば、社会資本は民主的な発展によりもむしろ非民主的な発展に導く危険性がある(ベルマン 1997)。したがって、政党とか代議制の機関とかの民主主義の諸制度は、広範な団体、地域開発集団、利用者管理団体などのネットワークによっては代替されず、民主的な市民意識を増強することになる。このような組織化のなかで発展する社会資本は、分裂を避けるため政治上の諸制度に結び付けられなければならない。



10.4 地域社会、合法性、および自由

民主主義における議員と有権者との間の関係、政治上の諸制度と市民との間の関係を同一に保っているものは合法性と呼ばれる。政治上の諸制度は、市民の信頼または承認された価値の分配を執り行うことができるための容認を必要とする。民主主義の実験を開始しまたはそれを支援することは、この合法性を維持し強化する一つの方法である。合法性の問題は、この10-15年、いよいよ注目されるものとなってきている。その大元は基礎自治体の統合であった。地域社会のいろいろな組織が以前の基礎自治体の境界と一致している。1980年代及び1990年代においては、さまざまな要因が、地域社会の市民がさまざまな組織の形成を推進し刺激するように作用していた(地域開発集団等々)。高齢者団体もまた、地域社会やスポーツ団体などのように多くの事例で再び活動的になってきている。これらの組織化は、基礎自治体統合および社会の発展によるその他の要素などの反動とみなされており、そのように説明されることがしばしばある。しかしながら、強調すべきもう一つの側面がある。すなわち、民主的な組織間のチームワークを発展させることを通して合法性を維持し強化する地域社会の組織化を支援する必要性である。

このような民主的な組織間のチームワークは、かっては大きな民主主義と小さな民主主義と呼ばれたものの変形である自治体と地域社会との間の関係という見地から述べることができる(ルイセランド&アールセテル 1998)。自治体は、この点に関しては、公的な需要及び個人的な需要を満たし公的な問題を解決することを目指す政治および事業の地理的に限定された多元的組織である。そしてそれは、かって私たちがサービス民主主義制度と呼んでいたものである。地域社会もまた、多かれ少なかれ自治体と重なり合う地理的に限定された単位社会である。地域社会は、個人とさまざまな種類の組織で構成されるものであるとみなされる。それは、共通の価値基盤又はそれに類するものに依存する単位社会ではなく、多かれ少なかれさまざまな政治的文化的要素を包含する首尾一貫した政治的な単位である。一定程度の地域社会の同質性が活気ある民主主義と高度な参加の発展のための前提条件であると主張する人々がいる。このためには、集団的な行動をもたらす一定の基本的な共通の価値が求められる(アヴィネリ&デ-シャリット 1992 参照)。

しかしながら、現代社会は多くの点において多元的文化であり、現代民主主義は、すべての人が等しくその地域における話し合いに参加する機会を有するべきであるということを含んでいる。基本的な共通の価値があるべきであると主張することは、実際には、多数者による少数者の抑圧を意味することになろう(ミレル 1995)。現代の民主主義は、文化の多元性の上に成り立っている。そこでは、市民は異なる価値観と世界観に対して相互に一定の寛容さをもって耳を傾けることを期待されている(ウェイゴルド&エリクセン 1998)。政治的な団体を社会的な団体と異ならせているものは、前者の場合には、問題や挑戦を同じくするが、利害や価値観については必ずしも同じくしない。後者の場合には、焦点にあるのは、共通の価値観と利害である。しばしば自治を連想させられるのは後者である。

地域社会は、しばしば、非営利団体とか文化団体、政治団体、経済団体などのさまざまな団体および組織からなる。これらの団体および組織は、市民意識とその活動と重なり合うことによりしばしば一対をなしている。このような重なり合いは、特定の人々に“自分たちの”地域社会についての概観をきわめて適切に持たせることになり、かつ彼らを一種の地域社会における社会資本のキーパーソンとすることになる。彼らは、ときには“活動家(eldsjälar)”と呼ばれるが、目立たないけれども、全体として「地域社会に非常にためになるもの」として注目される。

地域社会(市民社会)と政治制度との関連についての現在の研究においては、相互に信頼と連帯感を感じる市民のいる活気ある市民社会こそ、地域社会の中で統合されていない市民よりも、政治制度(基礎自治体、県など)により一層大いなる信頼を感じているとしている(ニールセン 1998)。このようにして、地域団体の活動を支援することにより地域社会における自らの正当性を維持し強化する政治上および専門性上の組織および事業を抱えた自治体が多元的な組織であることについての基本的な必要性があると言える。そしてそれは実際には多くの地域社会を含んでいる。

要約すれば、機能的および地域的な利用者団体や市民団体は、ともに既に社会資本であることを示しているのであり、またこれらの資本は小集団に肯定的な方向に発展するであろうということも示している。しかしながら、このような発展が大きな民主主義と調和するとは必ずしも言えない。活動それ自体が個別と普遍との間の矛盾を生ずる結果となるだろう。決定的な問題は、小さな民主主義と大きな民主主義がどのような方法で一つに結びつけられるのか、またそうされるべきなのかということであると思われる。代議制度の側で利用者団体や市民団体を発展させるかあるいは議会や政党を刷新するかということを議論しているのではない。利用者委員会とか地域開発集団などというような形の集団的な組織といった要素の発展は、分散化の傾向や正当性に関わる問題が大きくならないために、現行のそして伝統的な政治制度を刷新する必要性を大きく生じさせている。この点に関しては、たとえば、民主的な組織間のチームワークを形成するために緊急なものとしてさまざまな形態の議会の改革が生じてきている。

小さな民主主義と大きな民主主義との間のそのようなチームワークを形成するための条件は市民の間でどのように思われているであろうか? この問題に対する回答を求めるために、私たちは、地域社会におけるさまざまな政治的帰属意識を確認することとする。



10.5 政治上の帰属意識

現代の福祉社会の市民であるということは、私たちが自治体およびその他の公的な諸制度および諸事業に対する関係において、実際にはさまざまな「姿」で対することを意味する。私たちは、納税者であり、選挙民、被雇用者、消費者/利用者、顧客などである。近年においては、市民のさまざまな役割に関する調査研究に対する関心が研究者の間で増大してきている。その第一の目的は、一方におけるさまざまな役割と他方における公的事業に対するさまざまな態度との間に関連があるかどうか調査することである。第二の目的は、市民の社会参画がその役割によって異なっているかどうか調査することであった(ペテルソン、ウェストホルム&ブルームベリ 1989;ニルソン 1995;エリクセン 1993)。第三の目的は、さまざまな市民の役割間の相克について調査することである(ロセ 1995;1997)。実際に実施された調査研究においては、選挙民、利用者、納税者、そして生産者などのさまざまな「役割設定」がなされている(ニルソン 1995)。私たちがさまざまな概念を利用する理由は、社会がますますさまざまに区分されてきているということである。私たちのこの社会の中での活動において、市民としての私たちが遭遇するさまざまな一連の組織や機関がある。産科病院(BB)から個別の居住形態särskilda boendeformerにいたるまで、

市民の役割について語るのではなく、私たちは、小さな民主主義と大きな民主主義と関連してさまざまな政治上の帰属意識に集中することになるだろう(バング、ドゥーベルグ&ハンセン 1997)。市民と諸制度との関係は、従前の政治上の帰属意識を確認し、あるいは新しい政治上の帰属意識を発展させることに寄与する。政治上の帰属意識は、一つの役割以上のものである。たとえある人が「利用者」としての役割にあるとしても、その人はそのようなものとして自信の帰属意識を持つものではない。むしろ、その人は、サービスの消費者として自信を考えるであろう。



10.5.1 政治上の消費者と私人としての市民

特定の帰属意識は小さな民主主義と大きな民主主義との間の役割分担を確立し強化するが、他方でそれに疑問を投げかけ一様化する。前者としては、政治上の消費者としての市民ということになろう。それは、(大抵は)投票をし、税を支払い、政治制度支える-漠然としたものであるが-ことから連想される帰属意識である。政党も含めて、さまざまな団体の構成員であるということは、普通のことであるが、構成員であるということは受動的なことである。帰属意識は、さらに、市民として、また公的なサービスの受け手/顧客としての権利を活用するということと結びついている。小さな民主主義と大きな民主主義との間の役割分担を確立し支えるもう一つの政治上の帰属意識は投票するだけの無関心な人々である。政治的活動性は非常に弱く、傍観者に属するものとして特徴づけられるであろう。この属性は、文字どおりに、その私人としての領域の中で仕事に、愛に、芸術に、そして文学に身を捧げる政治に無関係な「私人としての市民」として現れる。政治上の関わりや政治上の意思決定は、エリートが携わるものである(ウォルゼール 1989,s.216)。

これら二つの政治上の帰属意識は、「大衆」と「エリート」との間の、小さな民主主義と大きな民主主義との間の役割分担の関係においては「機能的」である。しかしながら、機能的ではなく、疑問を投げかける別の政治上の帰属意識がある。二つのそのような政治上の帰属意識が持ち上がってくるであろう。



10.5.2 日常的なことがらvardagsmakaren と brobyggaren

デンマークにおける民主主義についての調査研究は、経験主義的な事例研究と理論的分析の組合わせにより「日常的なことがらvardagsmakaren」(バング&ソレンセン 1997;バング&ソレンセン 1998)と呼ばれる政治上の帰属意識を浮き彫りにした。これは、スウェーデンに関しても十分通用することを示している。日常的なことがらの領域は、保育園の両親委員会、地域の学校管理委員会、または住民協議会などといった形態の小さな政治である。彼/彼女は特別に大きな政治に関わってはいない。しかしながら、日常的なことがらは、不十分な表現での、あるいはそれに類する表現での大きな政治を表わすものではない。彼/彼女は、小さな民主主義と大きな民主主義との間の関係をむしろ一種の役割分担として考えている。すなわち、「私たち」と「自治体の人々」である。それに反して、政党あるいはむしろ政党制度は、しばしば否定的な用語でまたは一定の懐疑を持って表現されている。日常的なことがらに関わっている人は、全体として、政党政治的な関連としてではなく見られている。このことは、しばしば、人が関わっていることは必ずしも政治だけではないと表現されている。政党は大きな民主主義を代表するものとしてみなされており、その「イデオロギーの詰合わせ」は、小さな民主主義では利用できないと考えられている。

政党に関わることで小さな民主主義から離れていくことは、日常的なことがらにはかまわないということである。一方で、日常的なことがらについては、正規の大きな政治の中の特定の人物と信頼に足る接触を持つことがしばしばある。ただし、これは、特別な政治問題又はそれに類するものに関してである。これは、民主主義又は「より良い社会」といった一般的な理念ではなく、実際的な問題適応である。政治上の組織原理を構成しているものは決してそのような合成されたイデオロギーではなく、おそらく、一種の地理的に範囲の制約のある、そして「地域社会共通の事柄を最善のものとするために」、または「私たちの子供たちのために」といったことが基本駅な理念と動機を形成している「地方イデオロギー platsideologi」である。日常的な事柄は、それ自体は、一般的に、その道の専門家たちや権限のある人々に対して従属的なもの、あるいは弱い立場にあるものとみなすものではない。帰属意識は「権限と責任を創り出す」ところに特徴がある。権限の創出とは、服従が政治的に重要であることを意味しており、人は他の人々とともに「可能性の余地 möjligetsrum」を創り出す。責任の創出とは、服従がそのような余地を満たすことを意味する。とりわけ、政治上の事柄は倫理学のようになってくる。さまざまな観点で、代替案は数多くあり、たとえば、何が最も幼児のためになるか? とか、何が最も地域社会のためになるか? などといったような倫理上のとるべき立場を呼び出すことになる。

一方においては、日常的な事柄は、目標意識的で、また行為に即しているなどから具体的なものとなっている。彼または彼女は、地域の集団的な形態とのかかわりから「熟練政治家」に対抗することになる。日常的な事柄は、日常的な活動の政治化と関連して、それ自体が「自己反射的」にかかわりを持ち、さまざま形態の連帯および係わり合いの違いに対して開放的である。「多文化的であること」は、大体のところは決して大きな問題とは考えられず、それはむしろ私的な関係である。

他方では、それは、地理的・機能的に近くにあり、もっぱら一定の範囲の地域にかかわる日常的な政治的かかわりの問題である。それは、きわめて小さい政治の活動領域である。環境問題、社会問題などといったような地理的・機能的によりいっそうの重要性を持っている一般的な政治問題は、日常的な事柄に対してはついで的な関心marginellt intresseしかもっていない。日常的な事柄は、個人的でもあり集団的でもある。彼または彼女は、たとえば自分たちの子供の学校における状況とか、あるいは地域社会の関心事などの需要や苦情utmaningarなどの個人的に関係のある問題から始めるが、自分たちがかかわっていることと同じような目的で他の人々とともに自らすすんでかかわり、組織をくみ立てる。政治およびイデオロギーに対する実利的な態度にもかかわらず、日常的な事柄は、このように組み立てられる組織が民主的な活動形態および意思決定形態によって築かれるべきである